出典 |
フットノート |
ヘブル 1:5 注1 |
「今日」とは、復活の日を言います(使徒13:33)。この章は、永遠の過去から永遠の未来にわたるキリストの説明を、わたしたちに与えています。彼は永遠の過去、神でした(8節)。彼は地と天の創造者でした(10、2節)。彼は万物を維持している方、万物を担っている方です(3節)。彼は万物の相続者です(2節)。彼は受肉し、十字架につけられることによって、贖いを達成されました(3節)。彼は復活の中で神の子として生まれ、神の多くの子たちに命を分け与えられました(5節)。彼は再び来られる神の長子です(6節)。彼は王国で杖をもって御座にいます王となられます(8―9節)。彼は永遠の将来にわたって、いつまでも存続されるでしょう(11―12節)。 |
ヘブル 1:6 注1 |
この節は、御子の再来のことを言っています。彼は最初の到来において、神のひとり子でした(ヨハネ1:14)。復活の手順を通して、ひとり子は多くの兄弟たちの間で長子となられました(ローマ8:29)。ですから、彼は再来の時、長子です。 |
ヘブル 1:6 注2 |
文字どおりには、人の住む地。 |
ヘブル 1:7 注1 |
ギリシャ語では、「霊」(複数)と同じ言葉です。ここでは「風」を意味し、「火の炎」と組み合わさっています。御使いたちは、風や火の炎のようです。彼らは被造物にすぎませんが、御子は創造主です。御使いたちは被造物として、御子にはるかに劣ります。御子は創造主として、御使いたちにはるかにまさっています。 |
ヘブル 1:8 注1 |
ここの「神よ」と9節(9節)の「あなたの神」は、御子のことを言っています。御子は神ご自身ですから、彼は神です。ですから、ここでは「神よ」と言います。御子はまた人でもありますから、神は彼の神です。ですから、9節(9節)は「あなたの神」と言っています。 この書の意図は、神の救いがユダヤ教にまさっていることをヘブル人信者たちに見せることです。ユダヤ教で誇りとするものは、神、御使いたち、モーセ、大祭司アロン、旧約とその奉仕でした。まず著者は、神の救いにおいて最初のまさっているものは神だけではなく、表現された神、すなわち子なる神であることを指摘しています(2、3、5、8―12節)。それから著者は続いて、キリストは御使いたちに(1:4―2:18)、モーセに(3:1―6)、アロンに(4:14―7:28)まさっていることを、また彼によって結ばれた命の新しい契約は文字の古い契約にまさっていることを、明らかにしています(8:1―10:18)。 |
ヘブル 1:9 注1 |
8節(8節)のノート1を参照。 |
ヘブル 1:9 注2 |
神のエコノミーにおいて、キリストは神に立てられて、神のご計画を完成する方であり、わたしたちは神聖な益におけるキリストのパートナーです。彼は神に油塗られ、わたしたちは神の目的の成就のために、彼と共にこの油塗りにあずかっています。第3章14節(3:14)のノート1を参照。 |
ヘブル 1:10 注1 |
御子が神であるからには(8節)、彼はいつまでも存続する永遠の主です(11節)。 |
ヘブル 1:13 注1 |
この書は、キリストが神とわたしたちのためにすべてのことを達成して、わたしたちがなすべき事は何も残されなかった事実を強調します。彼が神の右に座しておられるのは、彼の働きが達成されて、彼がそこに安息し、ただ一つのこと―神が彼の敵どもを彼の足の足台とするのを待っておられることを象徴します。彼は天にあってその所に座し、完全な安息を得るための足台を待っておられます。 |
ヘブル 1:14 注1 |
御子は定められた万物の相続者です(2節)。わたしたち、彼の信者は、彼のパートナーです(9節)。ですから、わたしたちは彼と共同の相続人であり(ローマ8:17)、救いを相続するだけでなく、彼と共に万物をも相続します(Iコリント3:21―22)。それゆえに、わたしたちは彼と共に宇宙の所有者です。ところが御使いたちは、わたしたちのしもべであるにすぎず、彼に劣るだけでなく、わたしたちにも劣るのです。 御子は相続者に定められました。わたしたちは救われて彼の共同相続人となり、彼の嗣業にあずかっています。第2章3節(2:3)で言われている「こんなに偉大な救い」は、わたしたちを彼の定められたパートナーシップへともたらすまで、救うことができます。ですから、わたしたちは彼が相続されるものは何であれ、それにあずかるのです。 御子のパートナーとして、わたしたちは神の家、真のベテル、天の門であり、そこでは御子は天のはしごであって、地を天に結び付け、天を地にもたらしておられます。このはしごの上を、神の御使いたちは上り下りしています(創28:12、16―19.ヨハネ1:51)。御使いたちは、仕える霊として、こんなに偉大な救いを受け継ぐわたしたちに仕えます。この書で語られていることは、天の門のようなものです。ここでわたしたちは、わたしたちを天に結び付け、天をわたしたちにもたらす天的な方であるキリストを享受します。それは、わたしたちが天の民となって、地上で天の生活をし、すべての天的事柄を受け継ぐためです。どうしてヘブル人信者たちは、これから後退して、彼らの古い宗教に戻り、御使いたちを誇ることができるのでしょうか? 御使いたちは、わたしたちに仕えるしもべにすぎないのです。 |