出典 |
フットノート |
ヘブル 2:12 注3 |
これは、長子が召会の集会において、父の多くの子たちの内側で父に賛美しておられることです。わたしたち、神の多くの子たちが召会として集会し、父を賛美する時、長子はわたしたちが賛美している中で賛美されます。彼は、わたしたちの外側で単独に賛美するのではなく、わたしたちの内側でわたしたちの賛美を通して、わたしたちと共に賛美されます。彼は、わたしたちが歌っている中で、父に向かって賛美の歌を歌われます。もしわたしたちが歌わないなら、どうして彼は歌うことができるでしょうか? わたしたちが父に向かって歌えば歌うほど、ますます内側での彼の臨在、彼の動き、彼の油塗り、彼の命の分け与えを享受します。こうして、わたしたちは彼の中で成長し、そして何にもまして、彼の栄光化へともたらされるでしょう。 |
ヘブル 2:14 注1 |
あるいは、無にもたらす、無効にする、廃棄する、削除する、取り消す、捨てる。蛇である悪魔が人を堕落へ誘い込んだ後、神は、女の子孫が来て蛇の頭を打ち砕くことを約束されました(創3:15)。時が満ちて、神の御子が処女から生まれ(ガラテヤ4:4)、肉体と成られました(ヨハネ1:14.ローマ8:3)。それは、彼が十字架上での肉体における死を通して、人の肉体の中の悪魔を滅ぼすためでした(ヨハネ3:14のノート1、12:31のノート1、ローマ8:3のノート3参照)。これはサタンを廃棄すること、無にもたらすことでした。ハレルヤ、サタンは廃棄され、滅ぼされました! |
ヘブル 2:15 注1 |
主は死の権能を持つ悪魔を滅ぼして、死の恐怖のために一生涯、奴隷とされていたわたしたちを、解放されました。死はわたしたちを支配していました(ローマ5:14)。そして、わたしたちは絶えず死を恐れながら、奴隷の下にいました。主が悪魔を滅ぼし、死を廃棄されたからには(IIテモテ1:10)、もはやわたしたちには死の恐怖はなく、死の奴隷から解放されています。 |
ヘブル 2:16 注1 |
イエスはわたしたち(人類であって御使いたちではない)を助けられました。彼は、わたしたちの性質(悪魔はわたしたちの性質の中にいる)にあずかることによって、すべてを含む死を通して、十字架上でこの性質を取り除かれました。こうして、彼はわたしたちの性質にある悪魔の権勢の下での死の奴隷から、わたしたちを助け出されました。 |
ヘブル 2:16 注1 |
イエスはわたしたち(人類であって御使いたちではない)を助けられました。彼は、わたしたちの性質(悪魔はわたしたちの性質の中にいる)にあずかることによって、すべてを含む死を通して、十字架上でこの性質を取り除かれました。こうして、彼はわたしたちの性質にある悪魔の権勢の下での死の奴隷から、わたしたちを助け出されました。 |
ヘブル 2:17 注1 |
神の御子は、わたしたち、彼の兄弟たちのようになって、血と肉にあずかられました(14節)。これには二つの目的があり、一つは消極的で、一つは積極的です。消極面での目的は、わたしたちのために肉の中の悪魔を滅ぼすことです。積極面での目的は、彼が人の性質を持って、あわれみ深い、忠信な大祭司となり、あらゆる事柄でわたしたちに同情することです。 |
ヘブル 2:17 注3 |
文字どおりには、神に向かう事柄。 |
ヘブル 2:17 注2 |
大祭司として、キリストは神ご自身と神聖な命の豊富をわたしたちに供給されます。神・人として、彼はわたしたちの大祭司として十分な資格があります。ここで、「あわれみ深い」は彼が人であることに符号し、「忠信な」は彼が神であることに符号します。 |
ヘブル 2:17 注5 |
原文は、複数。 |
ヘブル 2:17 注4 |
イエスはわたしたちの罪のためになだめをなして、神の義の要求を満たし、わたしたちと神との関係を和らげました。それは、神が平和のうちに、わたしたちに恵み深くあるためです。ローマ第3章25節(ローマ3:25)のノート2を見てください(参照、ルカ18:13とノート1)。 |