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出典

フットノート

ヘブル 3:6 注1 旧約の時代に、神の家はイスラエルの家であり(レビ22:18民12:7)、彼らの間にあった幕屋、あるいは宮で象徴されていました(出25:8エゼキエル37:26―27)。今日、神の家は召会です(Iテモテ3:15Iペテロ4:17)。神の民としてのイスラエルの子たちは、わたしたち新約の信者の予表です(Iコリント9:24―10:11)。彼らの歴史全体は召会の予表です。
ヘブル 3:7 注1 この言葉は、6節(6節)の神の家と第4章9節(4:9)の安息日の安息をつなぎ、これら二つが同じであることを示しています。神の家は今日、わたしたちの召会生活であり、わたしたちの安息日の安息です。
ヘブル 3:10 注1 あるいは、間違っている、心が欺かれている。
ヘブル 3:10 注2 神の道は彼の行動とは違います。神の行動は彼の活動です。神の道は、彼が行動される原則です。イスラエルの子たちは、神の行動を知っていたにすぎません。しかし、モーセは神の道を知っていました(詩103:7)。
ヘブル 3:11 注1 ヘブル語の慣用的な用法で、強烈な否定的意味を含んでいます。第4章3(4:3)、5節(4:5)も同じです。
ヘブル 3:12 注1 あるいは、顔をそむける、捨てる、離れる、遠ざかる。
ヘブル 3:14 注1 ギリシャ語は、第3章1節(3:1)、第6章4節(6:4)の「あずかる者」、第12章8節(12:8)の「受ける」と同じ言葉です。この三箇所の意味は、わたしたちが天の召し、聖霊、訓練にあずかるということです。ですから、「あずかる者」(パーテーカー)と訳されます。ここと第1章9節(1:9)の意味は、わたしたちがキリストにあずかることです。ですから、「パートナー」と訳されています。わたしたちは天の、聖なる、霊的な事柄にあずかる者(パーテーカー)であり、天の召し、聖霊、霊的な訓練にあずかっています。わたしたちはキリストのパートナーであって、各肢体がかしらと共にその霊にあずかるように、彼と共に霊的な油塗りにあずかり(1:9)、カレブがヨシュアと共に良き地の安息にあずかったように(民14:30)、彼と共に天の安息にあずかっています。
ヘブル 3:16 注1 モーセはイスラエルの子たちをエジプトから連れ出しましたが、カナンの良き地に入りませんでした。これを行なったのは、彼の後継者、ヨシュアでした(4:8)。
ヘブル 3:18 注1 あるいは、納得させ得ない、頑固な、不信仰な。
ヘブル 4:1 注1 9節(9節)のノート1を参照。
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