出典 |
フットノート |
ヘブル 6:8 注2 |
あるいは、拒否される、失格する、無価値と見なされる。同じ言葉がコリント人への第一の手紙第9章27節(Iコリント9:27)でも使われています。もし信者が、完成、円熟にもたらされようとしないで、古い事柄に後退するなら、神にとって無用となり、無価値と見なされるでしょう。 |
ヘブル 6:8 注3 |
いったん救われたなら、信者たちは決して実際ののろいにはなり得ません。しかし、引き続きキリストを成長させず、むしろ神に喜ばれないことに固執するなら、わたしたちは、神の統治上の懲罰を受けるのろいに近い状態になります。(これは、第12章7節から8節での取り扱い、あるいは懲罰と考えられるべきです)。のろいに近いとは、実際ののろいである永遠の滅びとは絶対に異なります。 |
ヘブル 6:8 注4 |
地は決して焼かれませんが、それが生えさせるものは焼かれるでしょう。信者たちは決して焼かれることはありません。しかし、彼らが神のエコノミーによらないで生み出すものは、すべて焼かれるでしょう。信者たちは神の農場です。彼らが木、草、刈り株として成長させるものは何であれ、焼かれます(Iコリント3:9、12)。 |
ヘブル 6:9 注1 |
いばらやあざみを生えさせる(8節)ことは、救いに属する事柄ではありません。わたしたちの聞いてきた事柄に注意を払い(2:1)、努め励んで約束された安息に入り(4:11)、恵みの御座に進み出て(4:16)、完成、円熟にもたらされる(1節)ことは、救いに属する事柄です。 |
ヘブル 6:9 注2 |
ここの救いとは、神の全き救い、第2章3節(2:3)で述べられた「こんなに偉大な救い」を言い、第7章25節(7:25)で述べられた救うこと、ピリピ人への手紙第1章19節(ピリピ1:19)と第2章12節(ピリピ2:12)で述べられた救い、ペテロの第一の手紙第1章9節(Iペテロ1:9)で述べられた魂の救いを含んでいます。ですから、8節(8節)で述べられた神の統治上の懲罰を受け、のろいに近くなることから救われることです。 |
ヘブル 6:10 注1 |
聖徒たちの必要に対して、物質の物で仕えることを言っています。 |
ヘブル 6:12 注1 |
あるいは、第5章11節(5:11)にあるように、鈍くなる。 |
ヘブル 6:18 注1 |
この二つの変わることのない事柄とは、神の約束と誓い(17節)です。 |
ヘブル 6:18 注3 |
20節(20節)で述べられているように、主イエスは天に、すなわち幕の内側にある至聖所に入られました。彼のもとに、わたしたちの避難所である天の港があります。今やわたしたちは霊の中で、天の港に入ることができます(10:19)。 |
ヘブル 6:18 注2 |
文字どおりには、激しく逃れた。避難所に逃れることを意味します。使徒行伝第14章6節(使徒14:6)を参照。 |