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出典

フットノート

マタイ 19:12 注2 ここの宗教家たちの試みは、天の王国について、さらに進んだ問題を啓示する機会を主に与えました。第18章は、わたしたちが天の王国へ入るためには、どのように兄弟たちを取り扱わなければならないかを啓示します。第19章は、最初に結婚生活と(3―12節)、富に対する態度(16―30節)が、天の王国と関係があることを示します。結婚生活は情欲の問題に触れ、富に対する態度はむさぼりの問題に触れます。天の王国は、わたしたちの情欲とむさぼりのあらゆる痕跡を排除します。
マタイ 19:12 注1 これらは、天の王国のために結婚をしない賜物を、神が与えた人たちです。パウロはそのような人でした(Iコリント7:7―89:5)。
マタイ 19:14 注1 ここで主は再び、天の王国にあずかるためには、小さい子供のようでなければならないことを強調しておられます。
マタイ 19:16 注1 マタイによる福音書で永遠の命を持つことと、ヨハネによる福音書で永遠の命を持つことには、違いがあります。マタイは王国についてであり、ヨハネは命についてです。ヨハネにおいて、永遠の命を持つというのは、人が神の非受造の命をもって救われ、今から永遠にわたって、この命によって生きることです。マタイにおいて、永遠の命を持つというのは、この時代に天の王国の実際にあずかり、来たるべき時代に王国の出現にあずかることです。そのようにして、神の永遠の命をさらに豊かに享受するのです。
マタイ 19:17 注2 文字どおりには、その良いこと。
マタイ 19:17 注1 このおひとりは神です。神だけが良いのです。これは、その質問をした若者が良くないだけでなく、主イエスが神であり、良い方であることを示しています。もしイエスが神でなかったなら、彼も良くはないでしょう。
マタイ 19:17 注3 ここの命に入るとは、天の王国に入ることです(23節)。天の王国は、神の永遠の命の領域です。ですから、わたしたちがその中に入る時、神の命の中に入るのです。これは、救われることとは異なります。救われるとは、神の命がわたしたちの中に入って、わたしたちの命となることです。天の王国に入るとは、神の命の中に入って、神の命の豊かさを享受することです。前者は、贖われ、聖霊によって再生され、こうして神の命を受けることです。後者は、神の命によって生き、歩むことです。一方は命の事柄であり、もう一方は生きる事柄です。16節(16節)のノート1を参照。
マタイ 19:17 注4 これは、救われるための必要条件ではありません。それは、天の王国に入ることと関係があります。天の王国の憲法によれば、そこに入ることは、古い律法の標準だけでなく、王が与えた補足の新しい律法の水準にも、応じることを要求します(5:17―48)。救いは信仰だけを要求しますが、天の王国は超越した義を要求します。この義は、古い律法と、天の王が与えた補足の律法を守ることから来る結果です。
マタイ 19:21 注1 たとえその若者が、旧約の律法の戒めを守ってきたとしても、あるいは見せかけたとしても、補足の新しい律法の要求の水準まで達していなければ、彼はなお完全ではありません。なぜなら、王国の憲法が要求したように(6:19―21)、彼は自分の持ち物を売り払い、天に宝を蓄えようとしなかったからです。
マタイ 19:21 注2 主に従うとは、すべての事柄にまさって彼を愛することです(10:37―38)。これは、天の王国に入るための最高の要求です。
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