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出典

フットノート

ヘブル 8:12 注2 原文は、複数。
ヘブル 8:13 注1 すなわち、旧契約。第9章1節(9:1)も同じです。
ヘブル 9:1 注1 ギリシャ語では、第8章2節(8:2)の「聖所」と同じ言葉ですが、ここでは単数です。ですから、ここでは「聖なる幕屋」と訳されています。これは幕屋全体であり(出25:8―9)、聖所と呼ばれている第一の幕屋と(2節)、至聖所と呼ばれている第二の幕屋(3節)を含みます。第8章2節(8:2)のノート2を参照。
ヘブル 9:4 注1 香の祭壇が置かれていた場所については、旧約と新約で、述べられていることに一見して矛盾があるように見えます。出エジプト記第30章6節(出30:6)は、香の祭壇は垂れ幕の前、すなわち垂れ幕の外側に置かれたと言っています。これは明らかに、香の祭壇が置かれていたのは、垂れ幕の外側にある聖所であって、垂れ幕の内側にある至聖所ではないことを示します。しかしここでは、至聖所には香の祭壇があると言っています。ですから、ほとんどのクリスチャン教師たちや聖書の読者たちは、ある間違いか誤解が起こったに違いないと考えました。しかしそうではありません! その一見、矛盾していることが、次の点で示されているように、重要な霊的意義を持っているのです。
(1) 香の祭壇が置かれている場所についての旧約の記録は、香の祭壇が証しの箱と最も近い関係にあり、その証しの箱の上にはなだめのおおいがあって、そこで神が彼の民と出会われることを示しています(出30:6)。その記録は、それらの間にある隔ての垂れ幕のことを述べずに、その香の祭壇が証しの箱の前に置かれていることを言っています(出40:5)。
(2) 列王記上第6章22節(アメリカ標準訳)は、「託宣所に属する香の祭壇」と言います。「託宣所」は、ヘブル語では「神が語られる場所」を意味します。託宣所は至聖所を指し、そこにはなだめのおおいを伴う証しの箱があって、そのなだめのおおいの所で、神は彼の民に語られました。こうして、旧約はすでに、香の祭壇が至聖所に属していたことを示しています。(それは聖所の中にあったとは言え、その機能は至聖所にある証しの箱のためでした。贖罪の日に、香の祭壇と証しの箱のなだめのおおいの両方に、贖罪のための同じ血が振り注がれました―出30:10レビ16:15―16)。ですから出エジプト記第26章35節(出26:35)では、供えのパンの机と燭台だけが聖所にあるものとして述べられており、香の祭壇については述べられていません。
(3) 香の祭壇は、祈りと関係があります(ルカ1:10―11)。本書では、祈ることは至聖所に入ること(10:19)、また恵みの御座に来ることであると示されています。その恵みの御座は、至聖所にある証しの箱を覆うなだめのおおいで象徴されています。わたしたちの祈りはしばしば、聖所で象徴される魂の一部分であるわたしたちの思いで始まります。しかし、わたしたちの祈りはいつも、至聖所で象徴されるわたしたちの霊へと、わたしたちを導きます。
(4) これらすべての点によれば、本書の著者が、その香の祭壇が至聖所に属していたと考えていたことは明らかです。4節(4節)は、燭台と机が聖所の中にあったように(2節)、金の香壇が至聖所の中にあったとは言っていません。それは、至聖所に金の香壇があったと言っています。なぜなら、香壇は至聖所に属していたからです。この観念は、わたしたちが聖所で象徴されている魂から、至聖所で象徴されている霊へと進むべきであるという、へブル人への手紙の全体の強調点と符号します。
 香の祭壇は託宣所、すなわち神が語られる場所、至聖所に属します。香の祭壇は、甘美で香ばしい香としての、復活におけるキリストを予表します。神はここで、喜んでわたしたちを受け入れてくださいます。わたしたちはそのようなキリストによって祈り、神に触れます。それは、神が喜んでわたしたちに語りかけられるためです。わたしたちは、祈りの中で甘美な香としてのキリストによって神に語りかけ、神はこの香の甘い香りの中で、わたしたちに語りかけられます。これは甘美な香としてのキリストを通しての、わたしたちと神との甘い交わりにおける対話です。
ヘブル 9:4 注2 ここの「香壇」のギリシャ語は、「香炉」とも訳すことができます。しかし、ここで言っているのは香の祭壇のことであって、香炉ではありません。なぜなら、旧約の記録によれば、聖所や至聖所には香の香炉はないからです。
ヘブル 9:4 注3 幕屋の備品の配列は、わたしたちのキリスト経験を描写しています。外庭には、青銅の祭壇と青銅の洗盤があります(出40:29―32)。これは、わたしたちのキリスト経験が、外面的な意味で、十字架上の贖いと、彼の贖いに基づく聖霊の清めで始まることを象徴します。聖所には供えのパンの机と燭台があり、また至聖所の近く、証しの箱の正面に置かれた香の祭壇もありました。供えのパンの机は、わたしたちの命の供給としてのわたしたちのキリスト経験を象徴し、燭台は、輝く光としてのわたしたちのキリスト経験を象徴します。これらの経験は、わたしたちの知性や感覚における、かなり内側のものです。香の祭壇は、神に対する甘美な香としてのわたしたちのキリスト経験を象徴します。この経験は、より深くより内側のものであり、至聖所における最も深く最も内なる経験に導きます。至聖所には証しの箱があり、その中には隠されたマナが入っている金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の板があります。金のつぼの中の隠されたマナは、わたしたちがキリストを、最も深い面での命の供給として経験することを象徴します。それは、聖所における供えのパンの机に象徴された経験よりも、はるかに深いものです。芽を出した杖は、キリストの復活の中でわたしたちがキリストを経験することを象徴し、これは神が与えられた務めにおける権威のために、わたしたちが神に受け入れられることを指します。これは、わたしたちが神に受け入れられるための香としてキリストを経験することよりも、深いものです。十戒の板である契約の板は、わたしたちを照らす内なる法則としてのキリストをわたしたちが経験することを象徴し、その法則は、神の神聖な性質にしたがってわたしたちを規制します。これは、聖所における輝く燭台としてのキリストを経験することよりも、深いものです。すべてこれらの最も深いキリスト経験は、至聖所で象徴されているわたしたちの霊の中で起こります。
ヘブル 9:5 注1 ローマ人への手紙第3章25節(ローマ3:25)のノート2を参照。
ヘブル 9:7 注1 文字どおりには、無知(複数)。この言葉は、神の律法に無知であるために犯した罪を言っています。ですからそれらは、知らずに犯した罪です(レビ4:21322275:17―18)。
ヘブル 9:8 注1 第一の幕屋、すなわち聖所は旧契約を象徴し、第二の幕屋、すなわち至聖所は新契約を象徴します。今や至聖所を閉ざした垂れ幕は、キリストの死によって彼の肉体が十字架につけられたことによって(10:20ガラテヤ5:24)裂かれ(マタイ27:51)、そして至聖所の道が現されました。ですから、わたしたちは聖所、旧契約、魂の中にとどまっている必要はありません。わたしたちは至聖所、新契約、霊の中に入らなければなりません。これが本書の目標です。
ヘブル 9:9 注1 あるいは、象徴、予表。文字どおりには、たとえ。
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