出典 |
フットノート |
ヘブル 9:14 注4 |
わたしたちは死んでいたので(エペソ2:1.コロサイ2:13)、わたしたちが行なったことは何でも、良くても悪くても、生ける神の御前には死んだわざです。 |
ヘブル 9:14 注5 |
この書は宗教を教える書ではなく、生ける神を啓示する書です(3:12.9:14.10:31.12:22)。わたしたちは、この生ける神に触れるために、わたしたちの霊を活用し(4:12)、血できよめられた良心を持つ必要があります。 |
ヘブル 9:15 注1 |
すなわち、初めの契約の規定の水準によれば、罪とされる違犯。 |
ヘブル 9:15 注2 |
永遠の嗣業の約束は、キリストの永遠の贖いに基づいているのであって、わたしたちの働きによるのではありません。またこれは第10章36節(10:36)の、わたしたちの忍耐と神のみこころを行なうことを条件とする約束(10:36のノート2を参照)とは異なります。ここの永遠の嗣業の約束は、キリストの永遠の贖いによります。第10章36節(10:36)にある約束の大いなる褒賞(10:35)は、わたしたちの忍耐と、神のみこころを行なうことによって与えられます。「永遠の嗣業」については、第10章34節(10:34)のノート1を参照。 |
ヘブル 9:16 注1 |
この言葉のギリシャ語は、「契約」、「遺言」と訳されます。契約は、契約の相手方との約束を内容とした協約で、これからある事柄を達成するための約束を内容とします。遺言は、相続人に遺贈されるものの遺書で、すでに達成された事柄を内容とします。キリストの血によって完成された新しい契約は、単に契約ではなく、キリストの死によって達成され、わたしたちに遺贈されたいっさいの事柄を伴う遺言です。神はまず、わたしたちと新契約を結ぶという約束を与えられました(エレミヤ31:31―34)。次にキリストは血を流して、その契約を制定されました(ルカ22:20)。この契約の中には、達成された事実が約束されているので、これは遺言でもあります。この遺言、この遺書は、キリストの死によって確立され、有効にされました。そしてキリストによって、彼の復活の中で執行され、施行されています。神の契約の約束は、神の信実によって保証されています。神の契約は、神の義によって保証されています。遺言は、キリストの復活の力によって実施されます。 |
ヘブル 9:17 注1 |
16節(16節)のノート1を参照。 |
ヘブル 9:17 注2 |
文字どおりには、死の上に。 |
ヘブル 9:18 注1 |
この言葉は、「新しく制定された」、「開始された」という意味を含んでいます。 |
ヘブル 9:22 注1 |
血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。罪の赦しがなければ、契約が制定されるために神の義の要求が満たされる道はありません。しかし、キリストの血は罪の赦しのために流され、そして契約は彼の血をもって制定されました(マタイ26:28)。 |
ヘブル 9:23 注1 |
幕屋とそれに属するすべての物は、やぎや雄牛の血が振りかけられ、きよめられました(21―23節)。それは、天のものが、それらよりもまさったいけにえ、すなわちキリストのいけにえの血によって、きよめられる必要があることの型です(7:27.9:14、28.10:10、12、14)。天と、天にあるすべてのものは、サタンとサタンに従った堕落した天使たちが神に反逆した時、汚されました。ですから、天のものすべてはきよめられる必要がありました。キリストは天そのものに入られた時(24節)、ご自身の血をもって、このきよめを成し遂げられました。 |