出典 |
フットノート |
ヘブル 11:1 注1 |
本書は十の章を用いて、ユダヤ教と神のエコノミーとの徹底的な比較をした後、後退する危険のあるヘブル人信者たちに、「信仰によって」(10:38―39)、すなわち、見るところによらずに(IIコリント5:7)生き、歩き、進むように命じます。第11章は続けて、信仰の歴史を用いて信仰を定義しています。神が約束された永遠の嗣業(9:15)と大いなる褒賞(10:35)はいずれも、望んでいる事柄、見ていない事柄です。信仰は、望んでいる事柄を実体化することです。ですから、それは待ち望む事柄の確信、自信、確証、実際、本質、根拠、望んでいる事柄を堅く支える土台です。信仰はまた、見ていない事柄の確認でもあります。それは、わたしたちが見ていないことをわたしたちに確信させます。ですから、それは、見ていない事柄の証拠、証明です。 |
ヘブル 11:1 注3 |
未信者は、キリストがなく、望みがありません(エペソ2:12.Iテサロニケ4:13)。しかしわたしたち、キリストにある信者は、望みの民です。わたしたちが神から受けた召しは、わたしたちに望みをもたらします(エペソ1:18.4:4)。わたしたちは、生ける望みへと再生されました(Iペテロ1:3)。わたしたちのキリストは、内にいて、栄光の望みであり(コロサイ1:27.Iテモテ1:1)、それは栄光のうちで体の贖い、変貌となるでしょう(ローマ8:23―25)。これは救いの望み(Iテサロニケ5:8)、祝福された望み(テトス2:13)、良い望み(IIテサロニケ2:16)、永遠の命の望み(テトス1:2.3:7)です。それはまた神の栄光の望み(ローマ5:2)、福音の望み(コロサイ1:23)、わたしたちのために天に蓄えられている望み(コロサイ1:5)です。わたしたちはいつもこの望み(Iヨハネ3:3)を保ち、その中で勝ち誇る(ローマ5:2)べきです。わたしたちの神は、望みの神(ローマ15:13)です。そして聖書の励ましを通して、わたしたちは絶えず神の中に(Iペテロ1:21)望みを持ち(ローマ15:4)、その中で喜びます(ローマ12:12)。本書は、望みの誇りを終わりまで堅く保ち(3:6)、勤勉さを現し、望みに対して最後まで十分な確信を持ち(6:11)、前に置かれた望みを捕らえる(6:18)ようにと命じます。この書はまた、新しい契約がさらにまさった望みをもたらし、それを通してわたしたちは神に近づく(7:19)とも告げています。わたしたちの命は望みの命であり、それは信仰に伴い、信仰と共に住みます(Iペテロ1:21.Iコリント13:13)。わたしたちは、望み得ないのに望みの中で信じたアブラハム(ローマ4:18)に従うべきです。 |
ヘブル 11:1 注2 |
同じギリシャ語が、第1章3節(1:3)で「本質」、第3章14節(3:14)で「確信」、コリント人への第二の手紙第11章17節(IIコリント11:17)で「確信」(確かな根拠を持って知っているという意味で)に使われています。それはまた「確証」、「実際」、「本質」(外観に対立する物事の真の性質を意味する)、「土台」、「根拠」とも訳すことができます。この言葉の基本的な意味は、「実質」を意味しますが、ここでは、(望んでいる事柄の)実質を実体化することを意味します。ですから、それは、「実体化」と訳すことができます。「実体化する」という言葉は、「実質」の動詞形です。実体化するとは、見えない実質、すなわち見えない事柄の実際に、実体を与えることです。これが信仰の行為です。ですから、ここでは、信仰とは望んでいる事柄を実体化することである、と言っているのです。 |
ヘブル 11:1 注5 |
すべて望んでいる事柄は、見ていない事柄です(ローマ8:24―25)。わたしたちは望みの民として、生活の目標は見える事柄ではなく、見えない事柄であるべきです。なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです(IIコリント4:18)。ですから、わたしたちは見えるものによってではなく、信仰によって歩きます(IIコリント5:7)。 |
ヘブル 11:1 注4 |
真理の確認。ギリシャ語の言葉は、「証拠」、あるいは「証明」と訳すこともできます。 |
ヘブル 11:3 注1 |
この章は3節(3節)から、信仰の歴史を簡潔に提示します。それは神の創造から、神の選びの民の全世代を通じて、すべての新約の信者たちに至るまで(40節)を含みます。そしてそれは、信仰が、神を追い求める者たちが彼の約束を受けて彼の道を取る唯一の経路であることを証明します。 |
ヘブル 11:3 注2 |
文字どおりには、諸時代(参照、1:2のノート5)。 |
ヘブル 11:3 注3 |
ギリシャ語は、即時的な言葉を意味します。 |
ヘブル 11:4 注1 |
このすぐれたいけにえは、実際の「まさったいけにえ」(9:23)であるキリストの予表です。 |
ヘブル 11:4 注2 |
文字どおりには、それ。 |