出典 |
フットノート |
ヘブル 12:2 注2 |
すばらしいイエス、天で御座に着かれ、栄光と誉れの冠を与えられた(2:9)この方は、宇宙において最も強い力を持つ魅力です。彼は巨大な磁石のように、すべて彼を追い求める者たちをご自身へ引き付けられます。わたしたちがすべてのものから目を離して、彼だけをひたすら見つめるのは、このような魅了する美しさに引き付けられることによってです。わたしたちを魅了するものがなければ、どうして地上の多くのそらすものから離れて、彼をひたすら見つめることができるでしょうか? |
ヘブル 12:2 注1 |
「ひたすら見つめ」と訳されているこのギリシャ語は、他のものすべてから目を離し、一つのものに完全に注目することを表します。ヘブル人信者たちは、彼らを取り巻く状況のすべての事柄から、彼らの古い宗教、ユダヤ教から、その迫害から、すべての地的な事柄から、目を離さなければなりませんでした。それは、彼らが、今や天で神の御座の右に座しておられるイエスを、ひたすら見つめるためです。 |
ヘブル 12:2 注5 |
本書は第1章3節(1:3)から絶えず、天に座しておられるキリストに、わたしたちを方向づけます。パウロは他のすべての書簡では、おもに命を与える霊としてのキリスト(Iコリント15:45)、わたしたちの命、またすべてである、わたしたちの霊の中に住んでおられるキリスト(ローマ8:10.IIテモテ4:22)を提示しています。しかし本書では特に、天に座して、多くの面を備え、あらゆる面でわたしたちを顧みてくださるキリストに方向づけます。パウロの他の書簡では、内住のキリストはわたしたちの肉、自己、天然の人に相対します。本書では、天のキリストは地上の宗教やすべての地的なものと相対します。わたしたちは内住のキリストを経験するために、霊に戻って彼に触れる必要があります。天のキリストを享受するために、地上のすべての事柄から目を離し、神の御座の右に座しておられる彼をひたすら見つめる必要があります。彼は神とわたしたちの両方が必要とするすべての事を、彼の死と復活によって達成されました。今や彼は昇天において、神の子(1:5)と人の子(2:6)のパースンの中で、神(1:8)と人(2:6)のパースンの中で、定められた万物の相続者(1:2)、神に油塗られた方(1:9)、わたしたちの救いの創始者(2:10)、聖別する方(2:11)、常にある助け(2:16)、時機を得て助ける方(4:16)、神からの使徒(3:1)、大祭司(2:17.4:14.7:26)、さらに卓越した務めを持つ(8:6)真の幕屋の奉仕者(8:2)、さらにまさった契約の保証また仲保者(7:22.8:6.12:24)、新契約の執行者(9:16―17)、先駆者(6:20)、信仰の創始者また完成者(2節)、羊の大牧者(13:20)として、天に座しておられます。わたしたちがそのようなすばらしい、すべてを含む方としての彼をひたすら見つめるなら、彼は天、命、力をわたしたちに供給し、彼であるものすべてをわたしたちに伝達し、注入して、わたしたちが天のレースを走り、地上で天的生活を生きるようにしてくださいます。こうして彼は、全生涯の行程を通してわたしたちを携え、栄光へ導き入れてくださいます(2:10)。 |
ヘブル 12:3 注1 |
文字どおりには、たるむ。 |
ヘブル 12:4 注1 |
ここの罪は、神の目に邪悪なものであって、信者たちをそらし、彼らを新契約の道から引き戻してしまうものを言っているに違いありません。なぜなら、それと格闘して、血を流すまで抵抗しなければならないからです。 |
ヘブル 12:5 注1 |
あるいは、懲らしめ。7(7節)、8(8節)、11節(11節)も同じです。 |
ヘブル 12:6 注1 |
あるいは、懲らしめる。7(7節)、10節(10節)も同じです。 |
ヘブル 12:7 注1 |
ヘブル人信者たちが受けたユダヤ教による迫害は、神の目から見れば、取り扱い、懲らしめでした。 |
ヘブル 12:9 注1 |
あるいは、懲らしめる者。 |
ヘブル 12:9 注2 |
「霊の父」は、「わたしたちの肉の父たち」と対照的です。わたしたちは再生において、わたしたちの霊の中で(ヨハネ3:6)神から生まれました(ヨハネ1:13)。ですから、彼は(わたしたちの)霊の父です。 |