出典 |
フットノート |
ヘブル 12:28 注2 |
あるいは、取る。恵みを持つとは、特にヘブル人信者たちにとって、新契約にとどまり、キリストを享受することでした。 |
ヘブル 12:28 注3 |
文字どおりには、うやうやしさ。 |
ヘブル 12:29 注1 |
神は聖です。聖は神の性質です。彼の聖なる性質にそぐわないものは何であれ、彼は、焼き尽くす火として、焼き尽くされます。もしヘブル人信者たちが、神の目に世俗的である(聖でない)ユダヤ教にそれるなら、彼らは聖でないものとなります。そして聖なる神は、焼き尽くす火として、彼らを焼き尽くされます。神は義であるだけでなく、聖でもあります。わたしたちは神の義を満足させるために、キリストの贖いを通して義とされる必要があります。彼の聖の要求に応じるために、天的な、現在の、生けるキリストによって聖別され、聖とされる必要があります。ローマ人への手紙は、神の義のために(ローマ3:25―26)、義とされること(ローマ3:24)をより強調しています。ヘブル人への手紙は、神の聖のために(14節)、聖別されること(2:11.10:10、14、29.13:12)をさらに強く打ち出しています。この聖別のために、ヘブル人信者たちは、自らを聖でないユダヤ教から、新契約の下で御子にあってご自身を完全に表現された聖なる神へと、聖別しなければなりません。そうでないと、彼らは自分たちの古い、世俗的な宗教で自分自身を汚し、焼き尽くす火としての聖なる神によって対処されるでしょう。それは恐ろしいことです(10:31)! ですから、パウロが主を畏れるのを重要なことと考えた(IIコリント5:11)のも当然です。 |
ヘブル 13:1 注1 |
この章は、その内容によって示されるように、正当な召会生活を考慮して書かれました。ここで言われているほとんどのこと、例えば、兄弟愛、もてなしなどは、単にクリスチャン生活のためだけでなく、召会生活のためです。 |
ヘブル 13:1 注2 |
あるいは、存続する。 |
ヘブル 13:3 注1 |
これは召会、キリストのからだの苦しんでいる肢体と共に苦しむことです(Iコリント12:26)。 |
ヘブル 13:4 注2 |
あるいは、あらゆる面で。 |
ヘブル 13:4 注1 |
召会生活では、兄弟と姉妹との接触は避けられません。ですから、汚れに落ち込むことから守られるために、わたしたちは結婚を尊び、またルーズに振る舞ってはなりません。それは、神のエコノミーにおけるわたしたちの長子の権に、重大な影響を及ぼすことです。ルベンは汚れのゆえに長子の権を失い(創49:3―4.歴代上5:1)、ヨセフは清純のゆえにそれを受けました(歴代上5:1.創39:7―12.参照、12:16のノート1)。神は淫行の者と姦淫する者を裁かれます。召会も、彼らを裁かなければなりません(Iコリント5:1―2、11―13)。この汚れほど、聖徒たちと召会生活を駄目にするものはありません。 |
ヘブル 13:4 注3 |
本書は神の聖について語っています。聖なる神は、わたしたちの間のどんな汚れも容赦されません。彼はご自分の民を裁かれる方です(10:30.12:23)。 |
ヘブル 13:5 注1 |
金銭を愛する者たちは、確かに召会生活の実際に入ることはできません。わたしたちは常に、自分に与えられている物で満足しているべきです。それは、わたしたちがマモンによって召会生活からそらされないためです。わたしたちは、主を助け手として持っているのですから、満足して平安でいるべきです。それは、わたしたちが召会生活の享受の中に、完全に守られるためです。 |