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出典

フットノート

ヘブル 13:13 注2 12節(12節)のノート3を参照。
ヘブル 13:13 注1 「営所の外に」と「幕の内側に」(6:19)とは、本書における二つの際立った点です。幕の内側に入るとは、至聖所へ入ることを意味し、そこでは主が栄光の中で御座に着いておられます。営所の外に出ていくとは、宗教から出ることを意味し、主はこの宗教から拒絶されて追い出されました。これは、わたしたちが霊の中にいて、宗教から出なければならないことを象徴します。経験から言えば、今日、実際の至聖所はわたしたちの霊であり、実際の営所は宗教です。わたしたちは、霊の中にいて、天のキリストを享受すればするほど、ますます宗教の営所の外に出て、苦難を受けたイエスに従っていくでしょう。霊の中にいて栄光を受けたキリストを享受することは、わたしたちが宗教の営所の外に出ていき、拒絶されたイエスに従うことができるようにします。わたしたちは霊の中にとどまって、栄光の中におられる天のキリストに触れれば触れるほど、ますます宗教の営所から出て、卑しめられたイエスへと行き、彼と共に苦しむでしょう。天におられるキリストに触れ、彼が栄光を受けられたことを享受することによって、わたしたちは活気づけられ、地上で十字架の狭い道を取り、彼のそしりを負うことができます。本書はまず、天のキリストと天の至聖所についてはっきりと見せます。次に、いかにして地上で十字架の道を歩むか、すなわち、いかにして営所の外に、宗教の外に出てイエスへと行き、彼のそしりを負うかを示します。モーセでさえ、イスラエルの子たちが金の子牛を拝んだ後(出第32章)、営所の外に出ていき、主を追い求めるすべての人も、そこへ彼に会いに行きました。なぜなら主の臨在も主の語りかけも、そこにあったからです(出33:7―11)。わたしたちは営所の外に出て、主の臨在を享受し、主の語りかけを聞かなければなりません。これらすべてのことは、実行的で正常な召会生活のために必要です。
 至聖所、十字架の道(イエスのそしりを負って、営所の外に出て、イエスへと行くことで象徴される)、王国は、本書で述べられている三つの重要な事柄です。至聖所とその豊かな供給は、わたしたちが十字架の狭い、困難な道を取ることができるようにし、この十字架の道は、わたしたちをその出現における王国へと導き入れ、栄光の褒賞を得させます。
ヘブル 13:14 注1 あるいは、永久の。
ヘブル 13:14 注2 本書の著者は、自分自身と彼の読者たちを、父祖たちのように(11:9―1013―16)、真に川を渡るヘブル人と考えていました。
ヘブル 13:15 注1 15節(15節)は8節から14節(8―14節)の継続です。召会生活の中で、わたしたちは変わらないキリストを恵みとして享受し、宗教の外で彼に従っているので、彼を通して霊のいけにえを神にささげるべきです。まず、わたしたちは召会の中で、彼を通して絶えず賛美のいけにえを神にささげるべきです。召会の中で、彼はわたしたちにおいて賛美の歌を、父なる神に歌われます(2:12)。わたしたちも召会の中で、彼を通して父なる神を賛美すべきです。最終的に、彼とわたしたち、わたしたちと彼は共に召会の中で、混ざり合わされた霊において御父を賛美するでしょう。彼は命を与える霊として、わたしたちの霊の中で御父を賛美し、わたしたちは霊によって、彼の霊の中で御父を賛美します。これは、わたしたちが彼を通して神にささげる最上で最高のいけにえです。このことは、召会の集会で大いに必要とします。
ヘブル 13:16 注1 文字どおりには、交わること。善を行なうとは与えることを言い、交わるとは分け合うこと、すなわち、聖徒たちの必要について交わることを言います。このような善を行なうことと他の人たちと交わることも、わたしたちが神にささげるべきいけにえです。これらも、正常な召会生活のために必要です。もし召会の中で窮乏の聖徒たちが十分に顧みられず、供給されないなら、それは実に不正常です。これは、他の人たちと交わることに欠けており、不十分であることを意味します。
ヘブル 13:17 注1 これは、召会生活で絶対に必要なことです。
ヘブル 13:18 注1 使徒たちのために祈ることも、召会生活の一面です。
ヘブル 13:20 注2 本書は、旧契約の事柄のような、暫時的な事柄についての書ではなく、永遠の事柄、時間と空間の制限を超えた事柄についての書です。例えば、永遠の救い(5:9)、永遠の裁き(6:2)、永遠の贖い(9:12)、永遠の霊(9:14)、永遠の嗣業(9:15)、永遠の契約(13:20)のようなものです。
 新契約は、さらにまさった契約(7:228:6)であるだけでなく、永遠の契約でもあります。この契約には永遠の効力があります。なぜなら、それはキリストの永遠に有効な血によって制定されたからです(マタイ26:28ルカ22:20)。
ヘブル 13:20 注1 ここの羊は羊の群れ、すなわち召会です。これは、この章で取り扱われた事柄が、すべて召会生活のためであることを確証します。わたしたちはこの召会生活の中で、変わらないキリストを罪のためのささげ物として経験しており、彼を通して贖われ、わたしたちの大牧者としての彼によって養われています。
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