出典 |
フットノート |
ヤコブ 1:2 注1 |
12節(12節)のノート1を参照。 |
ヤコブ 1:3 注1 |
神によってキリストの中で与えられたクリスチャンの信仰(IIペテロ1:1.ヤコブ2:1)。 |
ヤコブ 1:4 注1 |
ヤコブは恵みと律法との区別に関して、明確な見解を持っていなかったかもしれませんが、彼の書簡である本書は、クリスチャンの行ないに関しては優れており、注目すべきものです。本書では、クリスチャンが完成され、それが彼らの実行に表されるほど、完全で整えられて、何も欠けたところのない者となることを強調しています。これが、本書の主要な題目であると考えてよいでしょう。このような、行ないにおけるクリスチャンの完成は、神の行政的取り扱いの試練と、植えられた御言による再生を通しての、神聖な誕生の美徳による信者たちの忍耐を要求します(18,21節)。 |
ヤコブ 1:5 注1 |
神が、キリストの中で彼の永遠のご計画を立て、それを遂行されたのは、彼の知恵によってでした(Iコリント2:7.エペソ3:9―11.箴8:12,22―31)。そして神の新約エコノミーにおいて、神はキリストを、まずわたしたちの知恵とされました(Iコリント1:24,30)。実行上のクリスチャンの完成のためには、この神の知恵が必要とされます。それゆえに、わたしたちは神にそれを求める必要があります。 この書簡の内容によると、ヤコブは神の新約エコノミーに関する明確な幻は持っていなかったかもしれませんが、クリスチャン生活における行ないに関する事柄を描写することでは、知恵を持っていたことがわかります。 |
ヤコブ 1:5 注3 |
あるいは、単純さをもって、寛大に、制限することなしに(ローマ12:8.IIコリント8:2)。 |
ヤコブ 1:5 注4 |
けちな人は与えようとはしません。与えるとしても、とがめながら、文句をつけながら与えるでしょう。神はこのような人とは異なり、惜しみなく与えられます。 |
ヤコブ 1:5 注2 |
ヤコブは祈りの人と呼ばれていました。ここで彼は、手紙の受取人に、知恵を求めるために祈るよう命じました。それは、ヤコブの知恵が、祈りを通して神によって与えられたことを暗示します。この書簡で、彼は祈りを強調しました(5:14―18)。祈りは、完成されたクリスチャンの実行上の美徳の一つです。 |
ヤコブ 1:6 注1 |
あるいは、ためらうことなく・・・・ためらう者は。 |
ヤコブ 1:8 注1 |
文字どおりには、二重の魂の者。神は人を一つの思いと一つの意志を持つ、ただ一つの魂に造られました。信者が祈りにおいて疑うことは、自分自身を二心にすることです。それは、二つの舵を持つ小舟のようなもので、方向が一定しません。祈りにおける信仰も、完成されたクリスチャンの実行上の美徳の一つです。 |
ヤコブ 1:9 注2 |
あるいは、高い場所、高い身分。 |