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出典

フットノート

ヤコブ 1:9 注1 あるいは、誉れとする、喜ぶ。身分の低い兄弟が、高くされたことを誇り、喜ぶ時、彼は自然に主を賛美します(5:13)。誇ることは、世俗的な方法で、すなわち主を賛美することなしに、行なわれるべきではありません。
ヤコブ 1:10 注1 身分の低い兄弟が、自分の高くされたことを誇りとし、喜び、主を賛美することは容易です。しかし、富んでいる者が低くされたことを誇りとし、喜ぶことは容易ではありません。高くされようと低くされようと、喜び賛美することは、完成されたクリスチャンの実行上の美徳の一つです。
ヤコブ 1:11 注1 6節(6節)で、ヤコブは疑う心を例証するのに海の大波を用い、10節(10節)で、消え去っていく富んでいる者を描写するのに陸の花を用いました。ここでは、神の行政的取り扱いの下で、人の富の消え去らせる要因を例証するのに、焦げつくような熱さを持つ、天にある太陽を用いました。17節(17節)では、天体の変動を例証に用いて、父なる神の不変が、変動するのと相対することを説明しました。第3章3節から12節(3:3―12)で、わたしたちの舌の問題を取り扱う時、彼は例証として二十種類の事柄を用いました。さらに、第4章14節(4:14)で、霧を用いて、わたしたちの命のはかない表れを描写し、第5章7節から8節(5:7―8)で、農夫の辛抱強さを用いて、主の来臨をいかに待つかを教えました。ヤコブは賢く、経験を積んだ人でした。彼には人の生活の経験があっただけでなく、祈りによって、追い求めることを通して、神聖な源から来る知恵もありました(5節3:13,17)。しかしながら、ユダヤ教に対する同情と妥協は、ヤコブを、パウロが見て彼の書簡の中で開いたような、神の新約エコノミーに関する知恵の完全な幻を見ることから妨げました。第3章12節(3:12)のノート1と17節(3:17)のノート1を参照。
ヤコブ 1:11 注2 あるいは、熱い風を送り。
ヤコブ 1:11 注3 富を追い求める者に対しては、何と厳粛にさせる言葉でしょう! しかし、その富の損失を通して低くされている金持ちに対しては、それは心を慰める言葉です。
ヤコブ 1:12 注1 2節から12節(2―12節)は、試練について述べています(参照,13節のノート1)。試練は信者たちの環境から来ます。それは苦難を通して(9―11節)、彼らの信仰を証明するためです(2―3節)。信者たちは主に対する愛のゆえに、すべて喜び(2節)をもってその試練を耐え忍ぶべきです。それによって、彼らは命の冠の祝福を受けます。
ヤコブ 1:12 注2 すなわち、信者たちの信仰を良しと認めること(3節)。
ヤコブ 1:12 注5 主を信じることは、救いのために神聖な命を受け入れることです。主を愛することは、円熟のために神聖な命において成長することです。それは、わたしたちが王国の中で神聖な命の栄光を享受するという、命の冠である褒賞に対して資格づけられるためです。
ヤコブ 1:12 注4 これは、欠かすことのできない神聖な命が、12節から27節(12―27節)における基本的思想であることを示します。生む父、彼がわたしたちを生むこと、彼がわたしたちを被造物の中の初穂とすること(17―18節,27節)、植えられた命の言葉(21節)、命の完全な律法(25節)はみな、このことを確証します。
ヤコブ 1:12 注3 命の栄光、また表現。信者たちは神聖な命によって、試練を耐え忍びます。この神聖な命は、主が出現される時に、彼らに対する褒賞として、彼らの栄光、彼らの表現、命の冠となるでしょう。そしてそれは、来たるべき王国(2:5)における彼らの享受となります。
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