出典 |
フットノート |
ヤコブ 2:5 注1 |
あるいは、この世に対して。すなわち、世の評価において。 |
ヤコブ 2:5 注3 |
わたしたちが主を信じるのは自分の救いのためであり(使徒16:31)、神を愛するのは自分の勝利のためです(Iヨハネ2:5,15)。それはわたしたちが、約束された王国を褒賞として受けるためです(参照,ヘブル12:28のノート1とヘブル10:35のノート1)。 |
ヤコブ 2:5 注2 |
ここの神の王国は、キリストの王国でもあり、それは来たるべき時代に、勝利の信者たちによって受け継がれます(エペソ5:5.ガラテヤ5:21.Iコリント6:10.啓20:4,6)。この王国の実際は(参照,マタイ5:3のノート4)、ユダヤ人の会堂においてではなく、キリストのからだである、クリスチャンの召会において実行されるべきです(ローマ14:17)。 |
ヤコブ 2:6 注1 |
あるいは、裁判所。 |
ヤコブ 2:7 注2 |
使徒行伝第15章17節(使徒15:17)とノートを参照。 |
ヤコブ 2:7 注1 |
文字どおりには、良い。これはイエス・キリストの尊い御名のことです。 |
ヤコブ 2:8 注2 |
神を愛すること(5節)と隣人を愛することは、律法の最大の要求です。すべての律法は、これらにかかっています(マタイ22:36―40)。 |
ヤコブ 2:8 注1 |
最も尊い律法とは、「自分自身のように、あなたの隣人を愛しなさい」との戒めのことを言います。これはすべての律法の王であり、すべての律法を含み、全うします(ガラテヤ5:14.ローマ13:8―10)。 |
ヤコブ 2:9 注1 |
文字どおりには、働く。 |
ヤコブ 2:10 注1 |
8節から11節(8―11節)の言葉は、ヤコブの時代のユダヤ人信者たちが、旧約の律法をまだ守っていたことを示します。これは、使徒行伝第21章20節(使徒21:20)で、ヤコブとエルサレムの長老たちがパウロに語った言葉と一致します。エルサレムにいるヤコブ、長老たち、何千というユダヤ人信者たちは、クリスチャン信仰とモーセの律法との混合の中に、依然としてとどまっていました。彼らはパウロに、そのような半ユダヤ教的混合を実行するように勧めさえしました(使徒21:17―26)。彼らは、律法の時代は完全に終わってしまったこと、恵みの時代が尊ばれるべきであることを知りませんでした。これら二つの時代の区別を無視するなら、神の経綸の行政に逆らうことになり、キリストの表現としての召会を建造するための神のエコノミー上の計画に、甚大な損害を与えることになったのです。このように、ヤコブの手紙は、半ユダヤ教的混合という雲がかかった状態の中、おおいをかけられた背景の下で書かれたのでした。天然の観念にしたがって信仰生活を実行する人たちは、本書の背景を無視します。 |