出典 |
フットノート |
ヤコブ 4:5 注1 |
神は、わたしたちを彼の配偶として得られた時、わたしたちの中に神の霊を入れて、わたしたちを彼と一つにされました(Iコリント6:19,16―17)。わたしたちの神はねたむ神であり(出20:5)、神の霊は、神のねたみをもってわたしたちをねたんでおり(IIコリント11:2)、わたしたちが神の敵の友となったり、同時に彼を愛する者となったりしないことを切望し、ねたみをもって願っておられます。これは、ヤコブが神の内住の霊を述べている唯一の箇所です。しかしここでは、世の友となることをやめさせることに関して、内住の霊を消極面から述べているのであって、キリストのからだを建造することに関して、積極面から述べているのではありません。 |
ヤコブ 4:6 注1 |
5節(5節)の聖書のことを言っています。 |
ヤコブ 4:6 注2 |
箴言第3章34節(箴3:34)の七十人訳聖書からの引用。 |
ヤコブ 4:6 注3 |
文脈によると、これは神に向かって誇り高ぶり、神にわたしたちを退けさせることを意味します。へりくだることも、神に向かってのことであり、神が望まれるように、神がわたしたちに恵みを与えるようにします。 |
ヤコブ 4:7 注1 |
すなわち、神に向かってへりくだる者(10節.Iペテロ5:6)。 |
ヤコブ 4:7 注3 |
1節(1節)で暗示されている肉、4節(4節)にある世、ここの悪魔は、信者たちの三つの主要な敵です。それらは互いに関連しています。肉はその霊に逆らい(ガラテヤ5:17)、世は神に逆らい(Iヨハネ2:15)、悪魔はキリストに逆らいます(Iヨハネ3:8)。肉が快楽にふけるのは、世を愛することによってであり、世は悪魔のために、わたしたちを横領します。これは、神の永遠の目的をわたしたちの中で壊滅させます。 |
ヤコブ 4:7 注2 |
神に向かって誇り高ぶることは、神の敵、悪魔に味方することです。神に向かってへりくだること、すなわち、神に服従することは、悪魔に抵抗すること、すなわち、悪魔に敵対して立つことです。これは、神の敵と戦う最も効果的な戦略です。それは常に、敵をわたしたちから逃げ去らせます。 |
ヤコブ 4:8 注1 |
すなわち、二重の思いの者、文字どおりには、二重の魂の者(参照,1:8のノート1)、心が二つの側、すなわち神と世に分けられること。これは人を姦婦(4節)と罪人にさせます。彼らの心がきよめられ、手が清められてはじめて、彼らは神に近づき、そして神は彼らに近づかれます。 |
ヤコブ 4:9 注1 |
この節は、悪魔の横領の下で世を愛することによって肉的な楽しみにふける、姦通の花嫁に対する神の厳粛な戒めです。 |
ヤコブ 4:10 注1 |
この言葉は、この区分(1―10節)への結論として、1節から3節(1―3節)で述べられた戦いと欲望に対する勧告です。 |