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出典

フットノート

ヤコブ 5:12 注1 文字どおりには、すべての事柄の前に。
ヤコブ 5:12 注2 わたしたちは誓うべきではありません。なぜなら、わたしたちは何者でもなく、また何もわたしたちの支配下になく、何もわたしたちに任されていないからです(マタイ5:34―36)。誓うことは、わたしたちの自己の意志が働いていること、わたしたちが神を忘れていることを示します。しかし、わたしたちが、しかりをしかり、否を否とすることは、神聖な性質にしたがって、神の臨在の意識の中で行動し、自分の意志と罪深い性質を否定することです。
ヤコブ 5:12 注3 マタイ第5章37節(マタイ5:37)のノート1を参照。
ヤコブ 5:12 注4 わたしたちがあずかる神聖な性質によって、わたしたちの言葉において本当に忠実で誠実であれば、それはわたしたちを彼の裁きから守るでしょう(参照,マタイ12:36)。
ヤコブ 5:13 注1 祈ることは、苦難に耐える主の力をわたしたちにもたらし、賛美を歌うことは、主の喜びの中にわたしたちを保ちます。
ヤコブ 5:13 注2 ギリシャ語は、おもに「弦楽器を奏でる」、「旋律を奏する」を意味します。ですから、詩歌を歌う、賛美を歌うことを言います。祈るにしてもほめ歌うにしても、わたしたちは神に接触するのです。いかなる環境や状況の下でも、低くされても高く上げられても、悲しんでいても喜びに満ちていても、わたしたちは主と接触する必要があります。
ヤコブ 5:14 注1 弱さのゆえに病んでいる人。弱さは病に導き(Iコリント11:30)、病は弱さをさらに生じさせます。
ヤコブ 5:14 注2 召会の長老たちを招いて、病気のために祈ってもらうのは、次のことを暗示します。(1) 招く人と、長老に代表される召会との間に何の問題もないこと。(2) もし、招く人の病の原因が、召会に対する何らかの過ちであるなら、招く人と召会との間の正常な関係が回復されていること(参照,Iコリント11:29―32)。(3) 病んでいる人と長老たちが、互いに徹底的に罪を告白したこと(16節)です。召会の中の隔たりがすべて取り除かれてはじめて、長老たちは召会を代表して、病んでいる人のために祈ることができます。
ヤコブ 5:14 注4 主の御名の中でとは、主との一を意味します。長老は、ただ油塗りを行なうだけではなく、彼らが主と一となることによって、からだとかしらを代表して油塗りを行ないます。
ヤコブ 5:14 注3 二つのギリシャ語が油塗ると訳されます。こことヨハネによる福音書第12章3節(ヨハネ12:3)で使われている言葉アレイフォ(aleipho)は、油を適用することに対する一般的な用語です。クリオ(chrio)は、祭司(使徒10:38)、王(ヘブル1:9)、預言者(ルカ4:18)のような任務のために、公式に油を塗ることを意味します。クリオはキリスト(Christos)と関係があり、御父による御子の油塗りに使われています(使徒10:38)。油を塗ることは、召会の代表である長老たちを通して、塗り油としてキリストのからだの上に注ぎ出された(詩133:2)命の霊を、からだの病んでいる肢体に分与して、彼らをいやすことを意味します(参照,Iヨハネ5:16とノート3,4)。
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