出典 |
フットノート |
1ペテ 1:18 注2 |
むなしい生活様式は、15節(15節)の聖なる生活様式と相対します。一般的にキリストの血はわたしたちを罪、違犯、不法、すべての罪深い事柄から贖います(エペソ1:7.ヘブル9:15.テトス2:14)。ここに一つの例外があります。キリストの血はわたしたちを古い、むなしい生活様式から贖いました。なぜなら、ここの強調は罪深いことにあるのでなく、生活様式にあるからです。全章で強調している聖なる生活は、神の選びの民が寄留中に持つべき生活です。その霊の聖別がこのためであるだけでなく、キリストの贖いもこのため、すなわち、わたしたちの父祖から受け継いだむなしい生活様式から聖別するためです。これが最高の代価、キリストの尊い血をもって成就されたことを知って、わたしたちは寄留の時を、畏れのうちに過ごすべきです(17節)。 わたしたちの古い生活様式、情欲の生活(14節)は、何の意味もなく、目標もありませんでした。ですから、それはむなしかったのです。しかし今や、聖なる生活をすること、聖の中の神を表現することが、わたしたちの目標です(15―16節)。 |
1ペテ 1:18 注1 |
文字どおりには、銀のもの、あるいは金のもの(例えば貨幣)。 |
1ペテ 1:19 注1 |
わたしたちはキリストの血を注がれることによって、俗な人たちと区別されています。この血は銀や金よりも尊いものです。最高の代価が、わたしたちの贖いのために払われました。それは、わたしたちがむなしい生活様式から聖いものに贖われるためでした(18,15節)。このために、神の御前に聖い畏れ、健康で真剣な用心深さを持つべきです。それは、そのような高い代価を払って贖われた神の選びの民として、わたしたちがキリストの最も高い贖いの目的を見失うことがないためです。 |
1ペテ 1:20 注1 |
キリストは、世の基の置かれる前から、神の予知にしたがって、神の選びの民のために、神の贖いの小羊となるよう(ヨハネ1:29)、神によってあらかじめ定められ、用意されていました。これは偶然にではなく、神の永遠の目的と計画にしたがって行なわれました。ですから、神の永遠の見通しにおいて、世の基の置かれた時から、すなわち、この世の一部分である人類が堕落した時から、キリストはほふられていたのです(啓13:8)。 |
1ペテ 1:20 注2 |
旧約時代の終わりのことを言っています。ヘブル第1章2節(ヘブル1:2)のノート1を参照。 |
1ペテ 1:21 注2 |
これは栄光をもって彼に栄光を帰すことであり(11節)、それは彼の祈りに対する御父の答えです(ヨハネ17:1)。 |
1ペテ 1:21 注1 |
わたしたちがキリストの中へと信じたことは、わたしたちを彼との有機的結合にもたらしました(ガラテヤ3:26―27)。そして彼を通して、わたしたちは神の中へと信じて彼と一となり、彼のすべての豊富にあずかります。 |
1ペテ 1:21 注3 |
Iコリント第13章13節(Iコリント13:13)のノート1を参照。 |
1ペテ 1:22 注3 |
聖別する真理、すなわち神の実際の言葉、真理の言葉(ヨハネ17:17とノート)。 |
1ペテ 1:22 注2 |
わたしたちの魂は、思い、感情、意志から成っており、それは心の各部分でもあります。わたしたちの魂がきよめられるとは、わたしたちの心の各部分―思い、感情、意志が、あらゆる不潔や汚染からきよめられることです(使徒15:9.ヤコブ4:8)。これは実際は、わたしたちの思い、感情、意志が、神以外のすべての事柄から救い出され、そして神を唯一の目的、ユニークな目標とすることです。このようなきよめは、真理に対するわたしたちの従順によって成し遂げられます。その真理は、わたしたちの信仰の内容と実際です(参照,Iテモテ1:1ノート1の要点2)。わたしたちが真理、キリストにあるわたしたちの信仰の内容と実際に従う時、わたしたちの魂全体は神に集中し、こうして神以外のすべての事柄からきよめられます。これは植えられた言葉(ヤコブ1:21)、すなわち、聖別する真理(ヨハネ17:17)を受け入れることによって、すべての汚れからわたしたちの魂を救うことです。 |