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出典

フットノート

1ペテ 2:1 注2 ここに挙げられた五つの消極的なものは、一つの順序を構成しています。悪意は根、源であって、悪口はその表現です。悪巧みと偽善とねたみは、源から表現に向かって発展していく段階です。
1ペテ 2:2 注1 信者たちは再生を通して生まれ(1:3,23)、赤子となり、霊の乳で養われ、命の中で成長して、さらに進んだ救いへと至ることができます。そしてそれは神の建造のためです。
1ペテ 2:2 注2 1節(1節)の「悪巧み」と対比。すなわち、偽りの目的がない、魂を養うこと以外のいかなる目あてもない。
1ペテ 2:2 注3 ローマ人への手紙第12章1節(ローマ12:1)で「理にかなった」と訳されたギリシャ語は、名詞の「言葉」から派生しているので、「言葉の」です。思いには(体と対照的に)、理性的な機能に属する意味があります。ですから、理性的な、論理的な、道理にかなったを意味します。言葉の乳は、体のための乳ではなく、内なる人、魂のための乳です。それは神の言葉の中で伝達され、わたしたちの理性的な思いの理解を通して、わたしたちの知的な機能によって吸収されて、わたしたちの内なる人を養います。
1ペテ 2:2 注4 成長することは、命の事柄であり、命の中の事柄です。わたしたちは再生を通して神聖な命を受けましたが、神の言葉の中で伝達される乳で養われることによって、この命の中で成長し、この命をもって成長する必要があります。
1ペテ 2:2 注5 すなわち、という結果になる。命の中で成長することは、救いという結果になります。ここの救いは、命における成長の結果としての救いであって、初期の救いではありません。神の全き完全な救いには、再生から(義認を含む)栄光化(ローマ8:30)までの長い期間があります。わたしたちは再生の時、最初の救いを受けました(参照,1:5のノート5)。次に、神の言葉の中で養う乳としてのキリストで養われ、成長して、全き救いへと至り、栄光化のための円熟へと至る必要があります。これは、主イエスの出現の時にわたしたちに啓示される魂の救いとなります(1:5とノート5.1:9―10,13)。しかし、文脈によれば、ここの「救いへと」は、直接、5節(5節)の「霊の家に建造されていきながら、聖なる祭司の体系となって・・・・霊のいけにえをささげ」ること、また9節(9節)の、彼の「美徳を・・・・告げ知らせる」ことを言っています。
1ペテ 2:3 注2 あるいは、楽しい、優しい。
1ペテ 2:3 注1 主は味わうことができ、その味わいは楽しくて甘いです。わたしたちが彼を味わったなら、彼の言葉の養う乳を切に慕い求めるでしょう(2節)。
1ペテ 2:4 注2 あるいは、誉れを与える。第1章19節(1:19)での言葉とは異なります。そこでは要素における尊さを意味しますが、ここでは人によって認められ、誉れを与えられた尊さを意味します。
1ペテ 2:4 注1 生ける石は命を持っているだけでなく、命において成長する石です。これは、神の建物のためのキリストです。ここでペテロは、植物の命である種から(1:23―24)鉱物の石に、比喩を変えました。種は命を植えるためであり、石は建物のためです(5節)。ペテロの思想は、命を植えることから神の建物へと進みました。わたしたちの命として、キリストは種です。神の建物のためには、彼は石です。彼を命の種として受け入れた後、わたしたちは成長する必要があります。それは、彼をわたしたちの中に生きておられる石として、経験するためです。こうして彼は、わたしたちをも、彼の石の性質で造り変えられた生ける石としてくださいます。それは、土台また隅の石である彼(イザヤ28:16)の上に、わたしたちが他の人々と共に、霊の家に建造されるためです。
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