出典 |
フットノート |
1ペテ 2:21 注2 |
文字どおりには、書き写し、手本(学生が文字をたどって書く、またそれに習って描くのに使う)。主はわたしたちが彼の足跡をたどり、また踏み従うことによってコピーするように、一つの手本としてわたしたちの前に、彼の苦難の生涯を置かれました。これは単に主と主の生活を模倣することでなく、彼の再生産を言っており、それは苦難の中で恵みとして主を享受することから出てきます(参照,19節のノート1)。内住の霊であるご自身と彼の命の豊かさのすべてが、わたしたちの内でご自身を再生産(複製)します。わたしたちは、彼を外側の模範として模倣するのでなく、オリジナルコピーの複製となるのです。 |
1ペテ 2:23 注2 |
第1章17節(1:17)のノート2の第二段落を参照。 |
1ペテ 2:23 注1 |
ここに挿入された「いっさい」は、主のいっさいの苦難を言っています。主は侮辱と中傷のいっさいを、その行政において義しく裁く方、義なる神に、自分を服従させていた方にゆだね続けられました。これは、主が地上で人の生活をしていた間、神の行政を認識しておられたことを示しています。 |
1ペテ 2:24 注6 |
原文は、複数。 |
1ペテ 2:24 注3 |
文字どおりには、から離れている。それゆえ、に対して死んだ。キリストの死において、わたしたちは罪に対して死にました(ローマ6:8,10―11,18)。 |
1ペテ 2:24 注5 |
義は神の行政の事柄です。わたしたちが救われたのは、神の行政の下で義しく生きるため、すなわち、神の行政の義なる要求にふさわしく生きるためです。 |
1ペテ 2:24 注4 |
キリストの復活において(エペソ2:6.ヨハネ14:19.IIテモテ2:11)。 |
1ペテ 2:24 注2 |
木で作られた十字架、ローマ人が犯罪人の死刑執行に用いた道具(申21:23.ガラテヤ3:13)で、旧約聖書で予言されたものです。 |
1ペテ 2:24 注1 |
これは、主がご自身を十字架上でいけにえとしてささげられた時(ヘブル7:27)、真のなだめの祭壇である十字架に、体においてわたしたちの罪を担われたことを指しています。 |
1ペテ 2:24 注7 |
死に至らせる苦しみ。 |