出典 |
フットノート |
1ペテ 3:19 注4 |
タルタロス、深くて暗い穴です(IIペテロ2:4とユダ1:6)。そこに、堕落した天使たちが留置されています。 |
1ペテ 3:19 注3 |
何世紀にもわたって、さまざまな学派の偉大な教師たちは、「獄にいる霊ども」に関して、それぞれ解釈してきました。聖書にしたがって最も受け入れられるのは次のとおりです。すなわち、ここの霊どもは、ハデスに留置されている、体のない死人の霊ではなく、ノアの時代に不従順によって堕落し(20節.創世記ライフスタディメッセージ27)、暗やみの穴に監禁されて、大いなる裁きの日を待っている(IIペテロ2:4―5.ユダ1:6)天使たちのことを言っているのです(天使たちは霊です―ヘブル1:14)。キリストは、肉体における死の後、彼の神性としての生ける霊の中で、これら反逆の天使たちの所へ行き(おそらくアビスへ―ローマ10:7)、キリストにおける受肉と肉体におけるキリストの死を通して、神聖な計画を妨げるサタンの企てに勝利を得たことを、宣言されたのでしょう。 |
1ペテ 3:19 注2 |
福音を宣べ伝えたのではなく、神が達成された勝利を宣言する、すなわち、キリストの十字架上の死を通して、神がサタンとその暗やみの力を砕かれたことを宣言する(ヘブル2:14.コロサイ2:15)。 |
1ペテ 3:20 注1 |
人類ではなく、天使です。あの八人とは異なります。 |
1ペテ 3:20 注3 |
水は、救いが成し遂げられた媒体でした。箱舟は、ノアと彼の家族を、神が洪水によってこの世を破滅する裁きから救いました。水は、彼らを腐敗した世代から救い、新しい時代へと分離しました。紅海の水がイスラエルの子たちに行なったように(出14:22,29.Iコリント10:1―2)、バプテスマの水は、新約の信者たちに同じように行ないました(21節)。 |
1ペテ 3:20 注2 |
「使徒行伝第27章44節(使徒27:44)のように、ギリシャ語は『困難、あるいは危険を通って安全な場所へ無事に到着すること』を意味する」(ダービー)。 |
1ペテ 3:20 注4 |
文字どおりには、八つの魂。 |
1ペテ 3:21 注1 |
前の節にある水のことを言っています。それはバプテスマの水の予表です。これは、ノアと彼の家族が箱舟の内側で洪水を通過したことは、わたしたちがバプテスマを経過することの予表であったことを示しています。洪水の水は、彼らを古い生活様式から新しい環境へと救い出しました。同じようにバプテスマの水は、わたしたちが受け継いだむなしい生活様式から、キリストにある復活の生活様式へと救い出します。これが本書の主要な強調点です。キリストはこのために、わたしたちを贖われました(1:18―19)。キリストの贖いは、キリストの死によって成し遂げられ、わたしたちに受け入れられ、その霊によるバプテスマによって、キリストの復活を通して適用されました。今や、わたしたちの日常の歩みは、復活したキリストの霊の中にあり、キリストの霊の命の力を通して、復活の中でキリストを生きる歩みであるべきです(ローマ6:4―5)。これは、神に栄光を帰す新しい、卓越した生活態度です(2:12)。 |
1ペテ 3:21 注2 |
「予表」と同格。 |
1ペテ 3:21 注3 |
バプテスマそのものは、わたしたちの肉の汚れ―わたしたちの堕落した性質の汚れと肉的な欲の汚れを除き去るのではなく、またそれはできません。この節とマルコによる福音書第16章16節(マルコ16:16)、使徒行伝第22章16節(使徒22:16)に基づくバプテスマの救いに関する誤った教えは、ここで是正されています。バプテスマはしるしにすぎません。この実際は、命を与える霊としての復活の中のキリストであり、命を与える霊は、キリストの十字架と復活の中でキリストが経過されたすべてをわたしたちに適用し、これらの事柄を、わたしたちの日常生活の中で実際とします。 |