出典 |
フットノート |
1ペテ 3:21 注4 |
ギリシャ語は質問、問い合わせ。その意味は多く議論されています。その正しい意味は、アルフォードが言ったように、「正しい純粋な良心を神に求めること」であると思われます。良心は、正当なクリスチャン生活を支配します。この種の質問、何かを尋ね求めることは、訴え、あるいは要求と考えてよいでしょう。ペテロのここの思想は、バプテスマはバプテスマされる者が神に対して正しい良心を求める訴えである、ということでしょう。バプテスマは、キリストが成就されたすべてのことに対するわたしたちの信仰の象徴、写しとして、わたしたちが神の御前で、また神に対して持っているすべての問題が解決されていることを、証しするものです。ですから、それは証しでもあり、わたしたちの良心には何の訴えられることもなく、むしろ平安と確信に満たされていることを証しします。わたしたちは三一の神の中へとバプテスマされ(マタイ28:19)、キリストの復活を通して、命の霊としての復活にあるキリストによって、三一の神と有機的に結合されています。その実際としてのキリストの霊がなければ、水によるバプテスマは直ちに、むなしい死んだ儀式となります。 |
1ペテ 3:22 注1 |
この付け加えの言葉は、キリストの苦難の栄光なる結果として、復活の後、彼が高く上げられたこと、また神の右にあって天で保っておられる高い誉れある地位を啓示するだけでなく、わたしたちがバプテスマを通して彼と共に入った有機的結合が、何と栄光で誉れあるものであるかをも示しています。なぜなら、わたしたちは彼の中へとバプテスマされたからです(ローマ6:3.ガラテヤ3:27)。 |
1ペテ 4:1 注1 |
幾つかの写本では、わたしたちのために、が加えられています。 |
1ペテ 4:1 注4 |
享楽は、わたしたちの肉の欲望をあおり立て(2節)、苦難はそれらを冷やします。キリストの贖いの目的は、受け継いだむなしい生活様式からわたしたちを救い出すことです(1:18―19)。この目的において、苦難はキリストの贖いに応答し、わたしたちを罪深い生活態度から、放蕩の洪水から安全に守ります(3―4節)。そのような苦難は、大半が迫害からですが、神の行政上の対処における懲らしめです。そのような苦難を受けることは、肉において神によって裁かれ、対処され、懲らしめられることです(6節)。ですから、わたしたちは、冷静な思いをもって自分自身を武装し、そのような苦難を耐えるべきです。 |
1ペテ 4:1 注3 |
本書の一つの主要な目的は、信者たちが迫害の中でキリストの足跡に従うよう励まし、勧告することです(1:6―7.2:18―25.3:8―17.4:12―19)。彼らはキリストが苦難の中で持たれたのと同じ思いを持つべきです(3:18―22)。わたしたちの思いの主要な機能は理解し、認識することです。キリストの足跡に従う生活をするために、わたしたちは、キリストが神の目的を果たすために生きられた道を理解し、認識する新しくされた思い(ローマ12:2)が必要です。 |
1ペテ 4:1 注2 |
これは、クリスチャンの生活が戦いの生活であることを示しています。 |
1ペテ 4:1 注5 |
文字どおりには、罪から停止する。原文は、罪は単数。 |
1ペテ 4:2 注1 |
すなわち、もはや父祖から受け継いだむなしい生活様式の中で生きることなく(1:18)、聖い卓越した生活態度の中で(1:15.2:12)、聖い畏れの中の純粋な生活(3:2)、キリストにある良い生活をすることです(3:16)。それは神のみこころです。 |
1ペテ 4:3 注1 |
文字どおりには、目的、意志。すなわち、意図、傾向。それゆえ、好むこと。 |
1ペテ 4:3 注2 |
すなわち、むなしい生活様式の中で(1:18)。 |