出典 |
フットノート |
1ペテ 5:2 注3 |
留意すること、その状況を注意して熱心に見ること。 |
1ペテ 5:3 注2 |
文字どおりには、くじ、分け前。それゆえに割り当て、ゆだねられた分け前。ここでは同じ節にある「群れ」のことを言っています。召会は神の所有であって、長老たちに彼らの割り当て、分け前として割り当てられ、彼らが顧みるよう神によってゆだねられました。 |
1ペテ 5:3 注1 |
すなわち、支配される者たちの上に権威を行使すること(マタイ20:25)。信者たちの間では、キリストを差し置いて、どんな主も存在してはなりません。すべての人はしもべ、奴隷でさえあるべきです(マタイ20:26―27.23:10―11)。召会では、長老たちは指導権(権力ではない)を取ることができるだけです。すべての信者は、それを尊重し、追従すべきです(Iテサロニケ5:12.Iテモテ5:17)。 |
1ペテ 5:3 注4 |
2節(2節)ノート2を参照。 |
1ペテ 5:3 注3 |
すなわち、率先して召会に仕え、顧みる。それは、信者たちが追従するためです。 |
1ペテ 5:4 注1 |
使徒の時代、冠は運動競技の勝利者に与えられました(Iコリント9:25.IIテモテ4:8)。それらは朽ちる冠であり、その栄光はしぼみました。主が忠信な長老たちに与えられる冠は、彼らの忠実な奉仕に対する褒賞です。この冠の栄光は、決してしぼむことはありません。それは神とキリストの王国が現れる時、勝利者たちが享受する栄光の分け前となるでしょう(IIペテロ1:11)。 |
1ペテ 5:5 注1 |
ギリシャ語は1節(1節)と同じ言葉ですが、原則において、それはすべての年長の人を言っているはずです。 |
1ペテ 5:5 注3 |
あるいは、エペソ第4章2節(エペソ4:2)にあるように、謙虚。 |
1ペテ 5:5 注2 |
ギリシャ語は、「奴隷の前掛け」を意味する名詞から派生しています。そのような前掛けは、奴隷のゆったりとした衣服を、奉仕する時に引き締めます。ここでは比喩として使われており、奉仕の時に一つの美徳として謙そんを身につけることを象徴しています。この比喩は明らかに、主がいかにタオルを腰に巻いて、ご自身を低くし、弟子たちの足、特にペテロの足を洗ったかについての、ペテロが受けた印象から来ています(ヨハネ13:4―7)。腰に帯を締めるという思想は、すでに第1章13節(1:13)でペテロによって採用されています。 |
1ペテ 5:5 注5 |
文字どおりには、(他の人々より)上に見せる者たち。 |