出典 |
フットノート |
1ペテ 5:8 注2 |
目を覚ますとは、戦闘中のように、最前線の兵士のように、油断なく警戒することです。ここでは特に迫害に遭っている時、敵がもたらす心配事に、苦難にある信者が目を覚ましていることを言っています。 |
1ペテ 5:8 注3 |
文字どおりには、敵対者(告訴における)。ここでは、わたしたちを訴える者であるサタンのことを言っています(啓12:9―10と9節のノート4)。 |
1ペテ 5:8 注4 |
マタイ第4章1節(マタイ4:1)のノート3を参照。 |
1ペテ 5:8 注5 |
飢えてほえること。 |
1ペテ 5:8 注7 |
ペテロはここで、迫害の中で苦しんでいる信者たちに警告しています。もし彼らが、神の力ある御手の下にへりくだらされようとせず(6節)、また彼らの心配事を神にゆだねようとしないなら(7節)、ほえたける獅子、悪魔、彼らの敵によって食い尽くされるでしょう。このことは、高ぶりと心配事が、わたしたちをほえたける獅子の飢えを満たす絶好の獲物にすることを教えます。このことでは疑いもなく、ペテロはかつて主が悪魔の願望について彼に警告されたことを、忘れることができませんでした(ルカ22:31)。 |
1ペテ 5:8 注6 |
これは、獲物を捜し求める悪魔の絶え間のない攻撃的活動を示しています。 |
1ペテ 5:9 注1 |
反抗したり、敵対して苦闘したりすることではなく、ほえたける悪魔の前で、わたしたちの信仰の土台の上に、岩のようにしっかりと立つことです。 |
1ペテ 5:9 注2 |
ここの「信仰」は、「あなたがたの信仰」です。それは、信者たちの主観的な信仰、神の守る力と愛の関心に対する彼らの信仰のことを言っています。 |
1ペテ 5:9 注4 |
第2章17節(2:17)のノート1を参照。 |
1ペテ 5:9 注3 |
すなわち、この章と前の章の前後関係によれば、迫害の中での苦難。 |