出典 |
フットノート |
2ペテ 1:5 注1 |
文字どおりには、それ以外にもたらす。神が与えられた尊く際立って偉大な約束以外に、またそれと共に、わたしたちは勤勉の限りをもたらして、神の約束を遂行するために、ダイナミックで神聖な性質の力を得ることに協力すべきです。 |
2ペテ 1:5 注3 |
これは、神がわたしたちに割り当てられた同じ尊い信仰であり(1節)、新約の命の祝福の共通の分け前であって、クリスチャン生活の開始のためです。この信仰は訓練されて、神聖な命の美徳が続く段階で発展し、円熟に到達する必要があります。 |
2ペテ 1:5 注4 |
文字どおりには、卓越性(参照,ピリピ4:8のノート7)。強力な活動となる神聖な命のエネルギーを示しています(参照,3節のノート11)。 |
2ペテ 1:5 注2 |
ピリピ第1章19節(ピリピ1:19)のノート3を参照。3節から4節(3―4節)でわたしたちに与えられた神聖な力は、5節から7節(5―7節)で発展します。信仰に美徳を供給するとは、信仰を働かせて美徳を発展させることです。同じことが、他のすべての項目にもあてはまります。 |
2ペテ 1:5 注5 |
美徳、強力な活動には、神とわたしたちの主イエスを知る知識のあふれるばかりの備えが必要です(2―3,8節)。わたしたちは神聖な命と敬虔にかかわるすべての事柄と、神聖な性質にあずかることについて認識し(3―4節)、享受して引き続き発展していきます。 |
2ペテ 1:6 注1 |
あるいは、節制。情感、願望、習慣の中で自分をコントロールし、制限する実行。これには、命の正常な成長のために、知識が供給され、発展させられる必要があります。 |
2ペテ 1:6 注2 |
自制は自分自身を対処することです。忍耐は他の人や環境を耐え忍ぶことです。 |
2ペテ 1:6 注3 |
神のような、神を表現する生活。わたしたちが自分を統御し、他の人や環境を耐え忍ぶ時、霊的生活の中で敬虔を発展させて、神のようであり、神を表現する必要があります。 |
2ペテ 1:7 注1 |
ギリシャ語は、「のために愛情を持つ」と「兄弟」から成っています。ですから、兄弟の愛情、喜びと楽しみに特徴づけられた愛です。神の表現である敬虔の中で、この愛は、兄弟たちの関係を維持し(Iペテロ2:17.3:8.ガラテヤ6:10)、この世で証しをし(ヨハネ13:34―35)、実を結ぶために(ヨハネ15:16―17)、供給される必要があります。 |
2ペテ 1:7 注2 |
ギリシャ語は、新約の中で神聖な愛として用いられています。神聖な愛は、その性質において神が何であるかです(Iヨハネ4:8,16)。それは人の愛よりも高貴であり、クリスチャン生活のすべての性質を飾ります(Iコリント第13章.ローマ13:8―10.ガラテヤ5:13―14)。それは人の愛よりも能力が大きく、度量が広いです(マタイ5:44,46)。信者が神聖な愛によって生き(3節)、神聖な性質にあずかっているなら(4節)、愛で浸透され、愛を完全に表現することができます。そのような愛は、兄弟愛の中で発展し、支配し、その中を流れ、愛である神の全き表現となる必要があります。信仰は命の種であり、このさらに高貴な愛は、この種が完全に発展した実であると考えられます(8節)。その間の六つの発展は、この種が成長して円熟へ至る段階です。 |