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出典

フットノート

2ペテ 1:19 注4 それは、輝く日が明けるように、光に満ちた来たるべき時を例証するたとえであり、それには、聖書の預言の輝く言葉に心をとめることによって、照らされ明るくされる信者たちの心の中に、夜明け前に昇る明けの明星を伴っています。背教の時、信者たちは、そのように夜が明けるまで、預言者の言葉を、背教の暗さを貫いて輝くともし火として、この事をよくよく心にとめています。このことは彼らを促し励まして、熱心に主の臨在を追い求めさせ、目を覚まさせ、その結果、主が盗人のように来られる時、主の到来(パルーシア)の秘密の部分において、主を見失うことがないでしょう(参照,マタイ24:27のノート1とIIテサロニケ2:8のノート3)。ですから、このたとえは来たるべき時代、王国の時代のことを言っているはずです。その日は、主が義の太陽として(マラキ4:2)出現(来臨)される時に(16節)明ける日であり、その光は、この時代の暗やみを貫いて輝き出るでしょう。これに先だち、主は夜の最も暗い時に、目を覚まして主の出現を慕ってきた者たちに、明けの明星として(啓2:2822:16)出現されます(IIテモテ4:8)。彼らは預言の言葉の輝きによって照らされていましたが、それは、夜が明けるまで彼らを導くことができるのです。
 わたしたちが聖書の言葉を暗い所に輝くともし火として心にとめているなら、主の実際の出現の前に、今日の背教の暗やみに輝く明けの明星として、主が心に昇るでしょう。
2ペテ 1:19 注3 あるいは、陰うつな場所、むさ苦しい、干からびた、無視された場所。これは、背教の中の暗やみを例証するたとえです。
2ペテ 1:19 注2 ペテロは聖書の預言の言葉を、暗い所に輝くともし火にたとえています。これは次のことを示します。(1) この時代は暗い夜の暗い所であり(ローマ13:12)、この世のすべての人は、暗やみで動き行動しています。(2) 聖書の預言の言葉は、信者に対する輝くともし火として、彼らの暗やみの中で輝く霊的光を伝達します。それは(知的理解のための文字の知識だけでなく)、彼らを導いて輝く真昼に至るまで、夜が明けて主の出現の日に至るまで、暗い夜を通過させます。太陽としての主が出現されるまで、わたしたちは歩みを照らす光として、この言葉を必要とします。
2ペテ 1:20 注1 預言を語った預言者、あるいは預言を書いた筆者のことを言っています。
2ペテ 1:20 注2 文字どおりには、ほどく、解く。それゆえ、打ち明けること、解説、解決。「人自身の解釈」とは、預言者や筆者自身の解説、あるいは解決であり、神が聖霊を通して息吹かれたものではないことを意味します。ここの思想はこうです。すなわち、聖書のどの預言も、預言者や筆者自身の観念、考え、理解ではありません。どの預言も、人の源から出てきてはいません。どの預言も、預言者や筆者の私的で個人的な思想を源としていません。これは次の節で確認され、説明されています。
2ペテ 1:21 注1 「なぜなら」は、前の節を説明します。聖書のどの預言も、預言者や筆者の解釈から出てきたものではありません。なぜなら、どの預言も人の意志によって出たものではなく、もたらされたものではないからです。それは人々が聖霊に動かされて、神によって語り出したものです。
2ペテ 1:21 注2 ギリシャ語は17、18節(18節)と同じ言葉。どの預言も、人の意志によってもたらされことはありません。人の意志、欲求、願いから出た思想と解釈が、預言の出てきた源ではありません。源は神です。人々は神の聖霊に動かされて、船が風に動かされるように、神のみこころ、願い、要望を語り出しました。
2ペテ 2:1 注1 使徒は第1章で、神聖な命の豊かな備えと神聖な真理の照らす輝きを信者たちに示し、こうして命を維持するために備えをし、背教の毒素に対する予防接種をした後、この章で、背教の恐るべき内容とその恐るべき結果を、警告として忠実に示しました。この警告は、ユダ1:4節から19節(ユダ1:4―19節)で与えられている警告と非常によく似ています。
2ペテ 2:1 注2 あるいは、こっそり持ち込む。文字どおりには、横から持ち込む、脇から持ち込む。それは、聞き手が不用意な間に新しい主題を導入することを意味します。ここでは、偽教師たちが真実な教えに添えて彼らの偽りの教えを持ち込み、導入することを示しています。
2ペテ 2:1 注3 ギリシャ語は、普通に受け入れられているものとは異なる意見(教理)の選択、「真理とは相入れない自己選択の教理」(アルフォード)を意味します。そのような教理は分裂を生じ、分派を生み出します。この言葉は、使徒5:17、15:5、24:5,14、26:5、28:22、Iコリント11:19、ガラテヤ5:20でも使われ、テトス3:10では形容詞形「異端の」(そこでは「分裂を引き起こす」と訳されている)で使われています。ここでは、偽教師たち、異端者たちによって持ち込まれた、偽りの異端的教理を指しています。そのような教理は、今日の近代主義者の教えのようです。
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