出典 |
フットノート |
2ペテ 2:12 注2 |
あるいは、道理のわからない。道徳的な問題について何の感覚も持たないことです。人の内側の最高の感覚は人の霊にあり、良心がその主要な部分です。良心は人の堕落の後、神の行政の下で人を治めてきました。ある者は神を否定して、良心の意識を投げ捨ててしまったので(ローマ1:23―32)、「感覚を停止してしまい」ました(エペソ4:19とノート)。昔のユダヤ教のサドカイ人(使徒23:8)のような第一世紀の異端者、また今日のキリスト教の近代主義者たちは、みなこの部類です。彼らは主を極みまで否定しているのですから、彼らの良心は焼かれ、その感覚を失って(Iテモテ4:2とノート2)、彼らは霊を持っていないかのようです(ユダ1:10,参照,19)。こうして彼らは、人を滅ぼす者サタンによって、彼らの情欲を通して、捕らえられるために生まれてきた、理性のない動物、本能のままの生き物のようになります。それは、彼らが腐敗して破壊へと至るためです。ここで描写されていることは、堕落した人が、理性のない動物のようになり得ることを見せています! |
2ペテ 2:12 注1 |
文字どおりには、生き物(人を含む)。動物のように生きている人たちを示しています。 |
2ペテ 2:12 注5 |
「腐敗させられる」と同じギリシャ語。腐敗によって生じる破壊を言っています。 |
2ペテ 2:13 注2 |
すなわち、不義な行ないの報酬。 |
2ペテ 2:13 注1 |
幾つかの写本は、不義の報酬を受ける、となっています。 |
2ペテ 2:13 注3 |
欲にふける異端者たちは、神の宝である真の信者たちにとっては、宝石のしみや傷のようなものです。 |
2ペテ 2:14 注1 |
文字どおりには、姦婦。 |
2ペテ 2:14 注2 |
文字どおりには、定まらない魂。 |
2ペテ 2:15 注1 |
真理の道(2節とノート2)、また義の道(21節とノート1)のような真っすぐな道を取ることは、ゆがみや偏見のない、不義のない正直な生活を生きることです。 |
2ペテ 2:15 注3 |
バラムは異邦人の本物の預言者であって、偽預言者ではありませんでしたが、不義の報酬を愛しました(民22:5,7.申23:4.ネヘミヤ13:2.啓2:14)。 |