出典 |
フットノート |
2ペテ 2:15 注2 |
文字どおりには、最後まで従う。 |
2ペテ 2:16 注1 |
すなわち、ろば。 |
2ペテ 2:17 注1 |
枯渇した異端の教師たちは、水のない泉、嵐に吹き払われる霧、すなわち、風に吹き回される水のない雲(ユダ1:12)であって、渇いている人々の必要に応じる命を全く持っていない者です。 |
2ペテ 2:17 注2 |
これも、神の行政上の取り扱いです。 |
2ペテ 2:18 注1 |
あるいは、振る舞う、行動する。 |
2ペテ 2:19 注1 |
1節(1節)のノート5、要点3を参照。 |
2ペテ 2:19 注2 |
あるいは、に対して。 |
2ペテ 2:21 注1 |
義の道を取るとは、神と人の両方に対して義しい生活を生きることです。それは、真理の道(2節とノート2)と真っすぐな道(15節とノート1)のもう一つの面です。これは神の義にしたがった生活をする道、神の義の王国のために(ローマ14:17.マタイ5:20)、その行政上の裁きを取ることができる道(3,9節)です。ペテロはこの手紙で、生活態度と生活の方法の両方を強調しています。なぜなら彼の手紙は、神の行政という観点に基づいて書かれているからです。聖と義である神の行政にふさわしくあるために、神の民は、放縦やむなしさではなく(7節.Iペテロ1:18)、神の義と真理の真っすぐな道の中で、聖くて、純粋で、善良で、卓越した(Iペテロ1:15.3:16、2.2:12.IIペテロ3:11)生活態度の中で生きる必要があります。 |
2ペテ 2:22 注1 |
犬と豚は、神の聖なる規定によれば汚れた動物です(レビ11:27,7.マタイ7:6とノート2)。犬は汚れた物を食べることに慣れています。犬は食べた物を吐いては自分の吐き出した物に戻り、内側の汚れたものになります。豚は泥まみれになって、自ら外側を汚します。神を否定する異端者たちは、結局これらの汚れた動物のようになり、自分の内側も外側も汚れたものにします(神の統治上の行政において、神の義によれば、彼らは何と重大な裁きに値することでしょう!)。ですから、彼らは非常に伝染力があるので、信者たちが彼らと接触することは禁じられています(IIヨハネ1:9―11)。 |
2ペテ 2:22 注2 |
文字どおりには、の上に。 |