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出典

フットノート

2ペテ 3:11 注2 幾つかの写本は、こういうわけで、崩壊していくのであれば、となっています。
2ペテ 3:11 注3 神聖な力は、聖なる生活態度と敬虔の中で生きるために必要なすべてのものを、わたしたちに備えました(1:3)。
2ペテ 3:12 注3 神の日は主の日です(10節)。旧約のイスラエルの子たちにとって、主の日はエホバの日です(イザヤ2:12ヨエル1:152:11,313:14アモス5:18,20オバデヤ15ゼパニヤ1:7,14,182:2―3ゼカリヤ14:1マラキ4:1,5)。そのような「日」という用語は、おもに行政上の取り扱いの裁きを意味するのに用いられています。主が来られる前は「人の日」であって、主が来られるまでは人が裁きます(Iコリント4:3―5)。それから「主の日」が来ます。主の日は、主のパルーシア(臨在―マタイ24:3とノート3)とすべての裁きで始まり、大いなる白い御座での人々と悪鬼どもに対する裁きで終わります(啓20:11―15とノート)。主のパルーシア(臨在)は、三年半の大患難の前に、勝利の聖徒たちが天の神の御座に携え上げられる時に始まるでしょう(啓12:5―614:1)。次に、第六の封印と最初の四つのラッパのすべての超自然的災害が下ってきて、地とその上にある物と天と天の万象を打ちます(啓6:12―178:7―12)。これが大患難の始まりです。大患難はおもに、七つの鉢の災害を含む最後の三つのラッパの災いから成っていて、三年半の間続きます(マタイ24:21―22,29啓8:13―9:2111:1415:5―16:21)。それは、全地の住民にとって試練の時となり(啓3:10)、それにはユダヤ人(イザヤ2:12ゼカリヤ14:1―2マラキ4:1,5ヨエル1:15―202:1,11,31)と、患難の中に残されたキリストにある信者たち(啓12:17)が含まれるでしょう。大患難の終わるころ、キリストのパルーシア(臨在)は、勝利者たちと共に空中に来るでしょう(啓10:1)。そして死んでいた聖徒たちは復活し、大多数の生きている信者たちと共に携え上げられます。彼らは患難の大部分を通過した者であり、空中で主と会うでしょう(Iコリント15:52Iテサロニケ4:16―17啓14:14―16)。これに続いて、すべての信者は空中の裁きの座で、主によって裁かれます(IIコリント5:10)。それから主は、勝利の聖徒たちと共に主の婚宴を持たれます(啓19:7―8)。この直後、主は彼の花嫁、すなわち彼の軍隊としての勝利の聖徒たちを伴って、地に来られ(ゼカリヤ14:4―5ユダ1:14Iテサロニケ3:13)、反キリストとその軍隊と戦ってこれを打ち破られます。そして反キリストと偽預言者たちを捕らえ、彼らを生きながら火の池に投げ込みます(啓19:11―21)。およそこのころ、大いなるバビロンは滅ぼされるでしょう(啓17:1―19:3)。同時に、主はイスラエルの子たちを救い、召集し、復興されます(ゼカリヤ12:2―14ローマ11:26マタイ24:31使徒1:6)。この後、サタンは縛られてアビス、底なき穴に投げ込まれます(啓20:1―3)。それから主は諸国民(生きている者―マタイ25:31―46ヨエル3:2)を裁かれます。この後、千年王国が来ます(啓20:4―6)。千年の後に、サタンはアビスから解き放されて、諸国民の一部分である、東半球の北部にあるゴグとマゴグを扇動し、神に対して最後の反逆をします。彼らは征服されて焼かれ、欺く悪魔は火の池へ投げ込まれます(啓20:7―10)。これに続いて、天と地は焼き尽くされ、一掃されるでしょう(7,10節)。それから、大いなる白い御座で(啓20:11―15)、最後の裁きが人(死んだ者)と悪鬼ども、またおそらく堕落した天使たちに臨みます(2:4とノート4)。これは、神が古い宇宙を一掃するために、主の日に行なう多くの裁きと取り扱いに加えての、神の宇宙的行政における、旧創造に対する神の最終的取り扱いとなるでしょう。それから、新しい天と新しい地の新しい宇宙が始まり、永遠に至ります(啓21:1)。そこには神の行政上の取り扱いとしての裁きは、もはやありません。なぜなら、そこには不義が住まないからです。こういうわけで、主の日は一千年を数えるまでもなく、非常に短く、おそらく七年以上ではないでしょう。これは、ダニエル書第9章24節から27節(ダニエル9:24―27)の七十週の、最後の週(七年)がその主要部分でしょう。神の日と主の日は二つの異なった日であり、主の日は千年王国で終わり、神の日は天と地が焼けることで始まり、大いなる白い御座の裁きに続くと考えるのは、聖書的ではありません。事実上、大いなる白い御座の裁きは、やはり主イエスによって執行されるのであり(使徒10:4217:31IIテモテ4:1)、それも主の日にあります。神はだれをも裁かれません。神はすべての裁きを主に与えられました(ヨハネ5:22)。
2ペテ 3:12 注2 ギリシャ語は、「臨在」を意味します。
2ペテ 3:12 注1 わたしたちが聖なる敬虔な態度で造り変えられた生活をする時、神の日の来臨を期待し、待ち望み、早めているのです。
2ペテ 3:12 注4 神の日の到来を言っています。それは、旧創造のあらゆる部分に裁きを執行し、それを一掃します。そのような日の到来のために、天はもはや立つことも、これまでのままで存続することもできず、崩壊するでしょう。そして燃える火の強烈な熱の中で、すべての元素は融解するでしょう。
2ペテ 3:13 注1 いっさいの物質的なものが崩壊した後、神の永存する言葉である神の約束は、依然として存続し、彼の贖われた民は、新しい宇宙に対する期待をもって、その約束に信頼し、その上に立つでしょう。わたしたちは望みを、見える要素にではなく、わたしたちの運命のために神の言葉が約束するものに、すなわち、わたしたちがまだ見たことのない、新しい天と新しい地に置くべきです。
2ペテ 3:13 注3 神が旧創造のすべての被造物に対して行なわれる行政上の裁きは、義を主要な要素としています。ですから、神の行政に関するこれら二つの手紙の中で、この事が繰り返し強調されるのです(Iペテロ2:23―243:12,144:18IIペテロ1:12:5,7―8,213:13)。ヨハネの文書に見られる主要な事は、神の命の中で表現された神の愛です。パウロの文書では、神のエコノミーの中で分け与えられた神の恵みです。ペテロの文書では、神の行政の中で維持された神の義です。神の命、エコノミー、行政は、三人の使徒たちの務めの基本的な構造です。命は愛からです。エコノミーは恵みを通してです。行政は義に基づいています。この義は新しい天と新しい地に住み、そして神の新しい宇宙全体にあまねく浸透し、それを神の義の秩序の下に絶対的に維持します。ですから、そこでは裁きの必要は全くなくなるでしょう。
2ペテ 3:13 注4 あるいは、それの住まいを造る。
2ペテ 3:13 注2 新しい天と新しい地は、古い天と古い地が、神の裁きの燃える火を通して新しくされ、造り変えられたものです。それは新しい人が、古い人が新しくされ、造り変えられたものであるのと同じです(コロサイ3:9―10IIコリント3:18)。
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