出典 |
フットノート |
2ペテ 3:14 注2 |
真っすぐな道を放棄して、不義の道に従う(2:15)異端者たちは、信者たちの間のしみや傷です(参照,2:13のノート3)。しかし、神の行政にあって平安に生きることを求めている信者たちは、しみもなく傷もないものであるべきです。それは、主が傷もしみもない小羊であるようにです(Iペテロ1:19)。 |
2ペテ 3:14 注1 |
平安の中で、主によって見いだされるとは、主の来臨の時に、主の目に神と人の両方に対して、義で、正しく、問題がないと見いだされることです。この書が神の行政上の取り扱いのために義を強調しているので(参照,13節のノート3)、それは義の道(比較,2:21)を歩いている信者たちに、平安の生活を追い求めるように勧めます。それは、彼らが裁きを伴う主の来臨に備えるためです。 |
2ペテ 3:15 注2 |
主が約束に関して辛抱強く遅らせているのは、延期して、信者たちに悔い改めて救いを得る機会を与えておられることであると思うべきです(9節とノート4)。 |
2ペテ 3:15 注3 |
最初の段階の救いではなく、完成段階の救い(参照,Iペテロ1:5のノート5)。主が彼の到来を遅らせておられるのは、彼の選びの民の多くが、彼の全き救いの最高の分け前を得損なうことがないようにと意図してのことです。 |
2ペテ 3:15 注1 |
あざける者たちは、信者たちに対する主の辛抱強さを遅延、緩慢、怠慢と見なします(9節)。これは、聖書の中で預言者たちによって語られ、使徒たちによって教えの中で語られた主の言葉を曲解することです(16節)。ですから、ペテロは信者たちに、主の辛抱強いのは怠慢ではなく救いと思うべきで、預言者たちの預言を曲解しないように、使徒たちの教え(ペテロ自身、パウロを含む)を曲解しないようにと勧めます。それは主の来臨の時に、異端者たちが裁かれるように、彼らが滅びへと裁かれることがないためです。信者たちが裁きを伴う主の来臨を迎えるために自らを備えることは、これを行ない、しみも傷もなく、平安の中で主によって見いだされるように励むことによります(14節)。 |
2ペテ 3:15 注4 |
使徒の一人であるペテロだけが(2節)、預言者の予言の確認をもって(2節)、主が辛抱強いのは遅れているのではなく救いと思うべきである、と教えているのではありません。使徒のもう一人のパウロも、彼の文書の中で、旧約の予言の言葉を根拠として、同じことを教えています。ペテロはこの事実に言及して、彼の書いていることを強めています。 |
2ペテ 3:16 注1 |
背教の異端的教えに対して予防接種をするペテロの解毒剤は、旧約の預言者たちと新約の使徒たちによって語られた聖なる言葉です。ですから、彼は新約聖書を構成する使徒たちの教えの最大の部分である使徒パウロの文書を、見過ごすことはできませんでした。使徒たちの教えの一部分であり、新約聖書の構成要素の一部分でもある二つの手紙の中で、ペテロは繰り返して、旧約の預言者たちと新約の使徒たちのことを言ってきました(Iペテロ1:10―12.IIペテロ1:12―21.3:2)。ここでペテロは、最も強い方法で使徒パウロに言及し、パウロが彼のすべての文書で、ペテロが彼の文書の中で言っていることも語っており、理解し難い事柄もいくつかあること、またパウロの手紙を曲解することは、異端者たちが行なっているように、聖書を曲解するのと同じであること、その結果、自ら滅びに至ること、すなわち、主の再来の時、主に裁かれることを語りました。これは、信者たちにも背教の異端者たちにも強い警告です。 |
2ペテ 3:16 注2 |
わずか八つの章から成る二つの書簡の中で、ペテロは神のエコノミー全体、世の基が置かれる前の永遠の過去から(Iペテロ1:2,20)、永遠の未来の新天新地までを取り扱いました(13節)。彼は以下の四つの面から、預言者たちが預言し、使徒たちが宣べ伝えた(Iペテロ1:10―12)、神のエコノミーに関する重要な事柄を啓示しました。 (1) 三一の神の面から。 父なる神は、予知にしたがって、永遠の中で一つの民を選び(Iペテロ1:1―2.2:9)、彼らを彼の栄光の中へ召されました(Iペテロ5:10.IIペテロ1:3)。キリストは、世の基が置かれる前から神にあらかじめ知られていましたが、終わりの日に現れ(Iペテロ1:20)、彼の身代わりの死によって(Iペテロ2:24.3:18)、命の復活と力の昇天を通して(Iペテロ1:3.3:21―22)、神の選びの民を贖われました(Iペテロ1:18―19,2)。天から遣わされたその霊は、キリストが贖われた人たちを聖別し、きよめられました(Iペテロ1:2,12,22.4:14)。(御使いたちは、これらの事柄を切にうかがい知ろうとしています―Iペテロ1:12)。三一の神の神聖な力は、命と敬虔にかかわるすべての事柄を彼らに備え(1:3―4)、彼らを守って全き救いへ至らせられます(Iペテロ1:5)。神はまた彼の幾つかのさまざまな行政上の裁きによって(Iペテロ1:17.2:23.4:5―6,17.IIペテロ2:3―4,9.3:7)、彼らを訓練し(Iペテロ5:6)、彼のあらゆる恵みによって彼らを成就し、確立し、力づけ、土台づけてくださいます(Iペテロ5:10)。主は彼らに対して辛抱強くあられます。それは、彼らがすべて悔い改めて救われる機会を持つためです(9,15節)。その後、キリストは彼を愛する者たちに対する彼の完全な救いを携えて、栄光の中で出現されるでしょう(Iペテロ1:5,7―9,13.4:13.5:4)。 (2) 信者たちの面から。 神の所有である信者たちは、神によって選ばれ(Iペテロ1:1―2.2:9)、彼の栄光と美徳によって召され(Iペテロ2:9.3:9.IIペテロ1:3,10)、キリストによって贖われ(Iペテロ1:18―19)、彼の生ける言葉を通して神によって再生され(Iペテロ1:3,23)、キリストの復活を通して救われました(Iペテロ3:21)。彼らは今や、神の力によって守られており(Iペテロ1:5)、互いに愛し合うようきよめられつつあり(Iペテロ1:22)、言葉の乳で養われることによって成長していき(Iペテロ2:2)、命の中で霊的美徳を発展させ(1:5―8)、造り変えられ、霊の家へと、神に仕える聖なる祭司の体系へと建造されつつあります(Iペテロ2:4―5,9)。彼らは神の選ばれた種族、王なる祭司の体系、聖なる国民、神の美徳を表現する彼の秘蔵の所有のための特別な民です(Iペテロ2:9)。彼らは神の行政上の裁きによって懲らしめられつつあり(Iペテロ1:17.2:19―21.3:9,14,17.4:6,12―19.5:6,9)、卓越した態度と敬虔の中で聖なる生活を生きて神に栄光を帰し(Iペテロ1:15.2:12.3:1―2)、長老たちの模範的な牧養の下で(Iペテロ5:1―4)、主のさまざまな恵みの良い家令として、キリストを通して彼の栄光化のために奉仕し(Iペテロ4:10―11)、主の来臨を期待し、促して(Iペテロ1:13.IIペテロ3:12)、豊かに供給され、主の永遠の王国へと入ります(1:11)。さらに、彼らは、永遠に神の義が住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます(13節)。そして、わたしたちの主と救い主イエス・キリストの恵みと知識の中で、絶えず成長しつつあります(18節)。 (3) サタンの面から。 サタンは信者たちの敵、悪魔であり、ほえたける獅子のように歩き回って、食い尽くすべきものを求めています(Iペテロ5:8)。 (4) 宇宙の面から。 堕落した天使たちは罪に定められ、永遠の裁きを待っています(2:4)。昔の不敬虔な世は、洪水によって滅ぼされました(2:5.3:6)。不敬虔な町々は灰と化しました(2:6)。偽教師たち、背教の異端のあざける者たち、邪悪な生活をしている人類は、すべて裁かれて滅びへと至るでしょう(2:1,3,9―10,12.3:3―4,7.Iペテロ4:5)。天と地は焼き尽くされます(7,10―11節)。すべての死んだ者と悪鬼は裁かれます(Iペテロ4:5)。それから、新しい天と新しい地が新しい宇宙として現れ、その中に、神の義が永遠に住むでしょう(13節)。 パウロは彼の文書の中で、やはり「これらの事柄」を語っています(新天新地を除いて)。ですから、ペテロは自分の文書を強めるために、パウロの文書に言及しました。それは、特に信者たちに対する神の行政上の裁き、また懲らしめの裁きについてです。パウロも強く、繰り返して、彼の文書の中でこの事柄を強調しています(Iコリント11:30―32.ヘブル12:5―11.2:3.4:1.6:8.10:27―31,39.12:29.Iコリント3:13―15.4:4―5.IIコリント5:10.ローマ14:10)。これは、ペテロがパウロの文書を高く推賞する理由であるはずです。 この推賞の中には、何と美しく卓越したものがあることでしょう! コリント人は分裂的えり好みによって(Iコリント1:11―12)、ペテロとパウロを分けようと企てましたが、ペテロはパウロを推賞して、パウロは「これらの事柄」を、自分が教えているように教えている、またパウロの手紙は曲解すべきではなく、「聖書の他の部分」と考えられる、旧約聖書と同じ尊敬を受けるべきものであると言っています。ペテロのそのような推賞は、大きなことです。なぜなら彼は、新約の信仰に関して、パウロに面と向かって叱責された人であるからです(ガラテヤ2:11―21)。これは、ヨハネ、パウロ、彼自身のような初期の使徒たちが、彼らの風格、言葉遣い、発言、見方の角度、教えの提示の方法は互いに異なっていたとはいえ、みな同じ一つの務め、新契約の務めにあずかっているのを(IIコリント3:8―9.4:1)、ペテロが大胆に承認したことを示しています。そのような奉仕の中心は、すべてを含むキリスト、三一の神の化身を人々に供給することです。この三一の神は、受肉、人の生活、十字架、復活、昇天の過程を経た後、キリストの贖いと聖霊の活動によって、彼の贖った人たちに、彼らの命のユニークな分け前、命の供給、あらゆるものとしてご自身を分与し、御父の永遠の目的にしたがって、キリストのからだである召会を建造します。そして三一の神の全き表現、三一の神の豊満において完成するでしょう。 |
2ペテ 3:16 注3 |
これは、あざける者たち(3節)と彼らに追従する者たちが、聖書と使徒たちの教えを無視しただけでなく(5節)、曲解したに違いないことを示しています。 |
2ペテ 3:16 注4 |
第2章1節(2:1)のノート5、要点2を参照。文脈によれば、ここの「破壊」は永遠の滅びではなく、神聖な行政上の懲らしめの刑罰のことを言っています。Iペテロ第4章18節(Iペテロ4:18)のノート2とIIペテロ第3章9節(IIペテロ3:9)のノート5を参照。 |