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出典

フットノート

1ヨハ 1:3 注1 1節(1節)では、まず「聞いた」、次に「見た」です。ここでは順序が逆です。啓示を受けることでは、聞くことが基本です。宣べ伝え、伝えることでは、見ることが基礎であるべきです。わたしたちが宣べ伝える事は、わたしたちが聞いた事の理解と経験でなければなりません。
1ヨハ 1:3 注2 使徒たちは永遠の命を聞き、また見ました。次に彼らは、信者たちもこの命を聞き、見るようにと、彼らにそれを伝えました。使徒たちは、永遠の命があったので、御父と御子、主イエスとの交わりを享受することができました。彼らは、信者たちもこの交わりを享受するようにと願いました。
1ヨハ 1:3 注2 使徒たちは永遠の命を聞き、また見ました。次に彼らは、信者たちもこの命を聞き、見るようにと、彼らにそれを伝えました。使徒たちは、永遠の命があったので、御父と御子、主イエスとの交わりを享受することができました。彼らは、信者たちもこの交わりを享受するようにと願いました。
1ヨハ 1:3 注3 ギリシャ語は、「共にあずかること」、「共同であずかること」を意味します。交わりは、永遠の命から流れ出たもので、実際上、神聖な命を受けて所有している信者たちの中の、永遠の命の流れです。それは、新エルサレムにおける命の水の流れで例証されます(啓22:1)。すべての真の信者は、この交わりの中にあります(使徒2:42)。交わりは、わたしたちの再生された霊の中のその霊によって遂行されます。ですから、それは「聖霊の交わり」(IIコリント13:14)、「(わたしたちの)霊の交わり」(ピリピ2:1)と呼ばれています。わたしたち信者は、この永遠の命の交わりの中で、御父と御子のすべてに、また御父と御子が成し遂げたすべてにあずかります。すなわち、わたしたちはその霊の交わりを通して、御父の愛と御子の恵みを享受するのです(IIコリント13:14)。そのような交わりは、第一に、使徒たちがその霊を通して御父と御子を享受することにおける、彼らの分け前でした。ですから、それは「使徒たちの交わり」(使徒2:42)、またこの節で「わたしたち(使徒たち)の交わり」、御父と御子イエス・キリストとの交わりと呼ばれています。これは神聖な奥義です。永遠の命のこの奥義的な交わりが、本書の主題と考えられるべきです。
 ここの交わりとは、個人的な利益を取り除き、ある共通の目的のために他の人と結びつくことを示しています。ですから、使徒たちと交わりを持つこと、使徒たちの交わりの中にいること、使徒たちの交わりの中で三一の神と交わりを持つことは、わたしたちの個人的な利益を捨てて、神の目的を遂行するために、使徒たちと三一の神と結びつくことです。この先でヨハネが書いたことによれば、この目的は二重です。(1) 信者たちが三一の神の中に住むことによって神聖な命において成長し(2:12―27)、神聖な誕生に基づいて、神聖な義と神聖な愛の生活を生き(2:28―5:3)、この世、死、罪、悪魔、偶像に打ち勝つこと(5:4―21)。(2) 地方召会がイエスの証しのために、燭台として建て上げられ(啓第1章―第3章)、永遠にわたって、神の全き表現である新エルサレムとして完成されること(啓第21章―第22章)。わたしたちが使徒たちの三一の神に対する享受にあずかるとは、使徒たちと三一の神に結合し、神、使徒たち、すべての信者に共通である神の神聖な目的を成就することです。
1ヨハ 1:3 注4 ここでは御父と御子だけが述べられていて、その霊は述べられていません。なぜなら、その霊はこの交わりの中に含まれているからです。事実上、永遠の命の交わりとは、三一の神―父、子、霊―を信者たちに分け与えることです。この命は、彼らが今日、また永遠にわたって享受するユニークな分け前です。
1ヨハ 1:4 注1 幾つかの写本は、あなたがたの、となっています。使徒たちの喜びは、信者たちの喜びでもあります。なぜなら、信者たちは使徒たちの交わりの中にあるからです。
1ヨハ 1:4 注2 交わりは、永遠の命の結果であり、喜び、すなわち三一の神の享受は、この交わりの結果、その霊を通して御父の愛と御子の恵みにあずかることの結果です。神聖な命のそのような霊的享受によって、わたしたちの三一の神における喜びは満ちます。
1ヨハ 1:5 注1 前の節の三つの主要な事柄、命、交わり、喜びに加えて、使徒たちが主から聞いた知らせは、神は光であると信者たちに伝えることです。
1ヨハ 1:5 注2 これまでの節で、御父と御子ははっきりと述べられており、その霊は永遠の命の交わりの中に暗示されています。ここで、この書簡では初めて神が述べられており、彼は三一の神―父、子、霊―として述べられています。福音書の光の中で啓示されているように、この神は光です。
 ヨハネと他の初期の弟子たちが聞いた知らせは、ヨハネによる福音書第8章12節(ヨハネ8:12) と第9章5節(ヨハネ9:5)で主イエスは光であるという、ご自身によって語られた言葉であるに違いありません。これは、主イエスが神であることを示し、それは神聖な三一の成分を含んでいます。
1ヨハ 1:5 注3 「神は光」、「神は愛」(4:816)、「神は霊」(ヨハネ4:24)のような表現は、比喩的にではなく、叙述的に用いられています。それらは神の性質を言い表し、描写します。神はその性質において、霊、愛、光です。霊は神のパースンの性質であり、愛は神の本質の性質であり、光は神の表現の性質です。愛と光はいずれも、命としての神と関係があり、この命は霊に属します(ローマ8:2)。神、霊、命は実際上一つです。神は霊であり、霊は命です。この命の中に、愛と光があります。神聖な愛がわたしたちに現れると、それは恵みとなり、神聖な光がわたしたちの上を照らすと、それは真理となります。ヨハネの福音書は、主イエスが恵みと真理をもたらして(ヨハネ1:14,17)、その結果、わたしたちが神聖な命を持つことを啓示します(ヨハネ3:14―16)。ヨハネの手紙は、神聖な命の交わりが、恵みと真理の源である神聖な愛と神聖な光に、わたしたちをもたらすことを啓示します。ヨハネの手紙は、彼の福音書の継続です。彼の福音書では、神が御子の中で恵みと真理としてわたしたちに来て、わたしたちを神の子供たちとならせました(ヨハネ1:12―13)。彼の手紙では、わたしたち神の子供たちが、御父の命の交わりの中で、御父に来て、彼の愛と光にあずかります(参照,4:8のノート2)。前者は、神が外庭に出てきて、祭壇でわたしたちの必要を満たすことです(レビ4:28―31)。後者は、わたしたちが至聖所の中へ入っていき、契約の箱で神と接触することです(出25:22)。これは、神聖な命のさらに進んだ、さらに深い経験です。ヨハネの福音書で、わたしたちは御子を信じて神聖な命を受けます。この命を受けた後、この手紙にあるように、わたしたちはこの命の交わりを通して、この命を享受すべきです。彼のすべての手紙はこの一つの事、すなわち、神聖な命の交わりに住むことによって、この命を享受することをわたしたちに啓示します。
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