出典 |
フットノート |
1ヨハ 2:1 注8 |
わたしたちの主イエスは、すべての人の間で唯一の義人です。十字架上の彼の義なる行為は(ローマ5:18)、わたしたちとすべての罪人のために、義なる神の義の要求を満たしました。ただ彼だけが、わたしたちの弁護者となる資格があり、罪を犯す状態にあるわたしたちを顧みて、わたしたちと義なるわたしたちの御父との関係がなだめられるようにと、わたしたちを義なる状態に回復してくださいます。 |
1ヨハ 2:2 注2 |
原文は、複数。 |
1ヨハ 2:2 注1 |
ローマ第3章25節(ローマ3:25)のノート2を参照。主イエス・キリストはわたしたちの罪のために、ご自身を供え物として神にささげられました(ヘブル9:28)。それは、わたしたちの贖いのためだけでなく、神の要求が満たされ、わたしたちと神との関係がなだめられるためでもあります。ですから、彼は神の御前でのわたしたちのなだめの供え物です。 |
1ヨハ 2:2 注3 |
主イエスはわたしたちの罪のためだけではなく、全世界のためのなだめの供え物です。しかしながら、このなだめの供え物は、人が主を信じることによって受け取ることが条件です。未信者たちがその効力を経験しないのは、なだめの供え物に何かの欠陥があるからではなく、ただ彼らが信じないからです。 |
1ヨハ 2:3 注1 |
1節から2節(1―2節)は、第1章5節から10節(1:5―10)の言葉に対する結論です。その区分は、神との交わりを妨げる罪をわたしたちが告白することと、神の赦しについて言っています。それは、わたしたちが神聖な命の交わりを享受するための最初の条件―最初に必要とされるものです。3節から11節(3―11節)は、神との交わりのための第二の条件―第二に必要とされるものであり、わたしたちが主の言葉を守り、兄弟たちを愛することを取り扱っています。 |
1ヨハ 2:3 注4 |
ヨハネ第13章34節(ヨハネ13:34)のノート1を参照。本書全体にわたって同じです。 |
1ヨハ 2:3 注3 |
文字どおりには、彼を知るに至った。これは、わたしたちが彼を知り始め、今に至るまで彼を知り続けていることを示します。これは、わたしたちが日常生活の中で、神を経験的に知ることを言っています。それは、わたしたちと彼との親密な交わりと関係があります。 |
1ヨハ 2:3 注2 |
あるいは、了解する。教理的にではなく、彼の戒めを守ることによって経験的に。 |
1ヨハ 2:4 注1 |
第1章6節(1:6)のノート4を参照。 |
1ヨハ 2:4 注2 |
神聖な言葉の中で伝達されている、神の啓示された実際を示しており(参照,1:6のノート6)、わたしたちが主の戒めを守ることが、彼を知ることに続くべきであることを啓示します。もしわたしたちが主を知っていると言いながら、彼の戒めを守っていないとしたら、真理(実際)はわたしたちの内になく、わたしたちは偽り者となります。 |