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出典

フットノート

1ヨハ 2:5 注1 「言」は3節から4節(3―4節)の「戒め」と同義語であり、すべての戒めを含んでいます。「戒め」は命令を強調します。「言」はわたしたちの供給である霊と命を意味します(ヨハネ6:63)。
1ヨハ 2:5 注2 ギリシャ語は、人の情愛よりもさらに卓越しており、さらに高貴な愛を言います(IIペテロ1:7のノート1とノート2)。本書は、この「愛」という言葉とその動詞形だけを用いています。ここの「神の愛」は、神に対するわたしたちの愛を示し、それはわたしたちの中にある彼の愛によって生まれます。神の愛、主の言葉、神ご自身は、すべて互いに関係があります。わたしたちが主の言葉を守っているなら、神の愛はわたしたちの内で全うされています。それは完全に、神聖な命の事柄であり、この命は神ご自身です。神の愛は、彼の内なる本質です。主の言葉は、この神聖な本質をわたしたちに供給し、それによってわたしたちは兄弟を愛します。ですから、わたしたちが神聖な言葉を守る時、神聖な愛は、わたしたちがそれによって生きる神聖な命を通して全うされます。
1ヨハ 2:5 注3 第4章12節(4:12)のノート4を参照。
1ヨハ 2:5 注4 すなわち、主イエス・キリストの中に(1節)。これは強い表現であり、わたしたちが主と一であることを強調します。わたしたちが主、すなわち神である方と一であるのですから、神の愛する本質はわたしたちのものとなります。それは、主の命の言葉によってわたしたちに供給されます。これは、わたしたちが愛によって歩み、神聖な命の交わりを享受し、光の中に住むためです(10節)。
1ヨハ 2:6 注1 キリストの中にいることは、クリスチャン生活の開始です。わたしたちがキリストの中に置かれたのは、神が一度で永遠に行なわれたことです(Iコリント1:30)。キリストの中に住むことは、クリスチャン生活の継続です。これは、わたしたちの日ごとの歩みにおける責任であり、その歩みはキリストの地上での歩みのコピーです。27節(27節)のノート8を参照。
1ヨハ 2:6 注2 文字どおりには、あの方。イエス・キリストのことを言っています。
1ヨハ 2:7 注2 この語句は、相対的な意味においてです。第1章1節(1:1)のノート2、第二段落を参照。
1ヨハ 2:7 注1 ヨハネによる福音書第13章34節(ヨハネ13:34)で主によって与えられた戒め。それは信者たちが初めから聞き、持っていた言葉です。
1ヨハ 2:8 注1 兄弟愛に関する戒めは、古くて新しい戒めです。古いというのは、信者がクリスチャン生活の最初からそれを持っていたからです。新しいというのは、彼らのクリスチャンの歩みで、それが繰り返し新しい光で夜が明け、新しい照らしと新鮮な力で照らすからです。
1ヨハ 2:8 注2 「そのこと」は原文では中性で、女性形である「戒め」のことを言っているのではなく、兄弟愛の古い戒めが信者のクリスチャンの歩みにおいては新しい、という事実を言っているはずです。古い戒めが新しいということは、主において真実です。それは、主がそれを信者に与えただけでなく、それを彼らの日ごとの歩みの中で、絶えず新しくしておられるからです。これは信者にも真実です。それは、彼らがそれを一度限り受け取っただけでなく、繰り返しそれによって照らされ、新鮮にされるからです。
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