聖書セミナー2025年7月19日(土)開催&聖書セミナーforビギナーズ2025年7月12日(土)開催
オンライン聖書―回復訳─注解検索結果オンライン聖書―回復訳─注解検索結果

[1ページ目] [前10ページ] [871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 ] [後10ページ] [最後のページ] 872/981ページ 計9804

出典

フットノート

1ヨハ 2:28 注5 マタイ第7章23節(マタイ7:23)、第24章51節(マタイ24:51)のノート1と、マタイ第22章13節(マタイ22:13)とノート2を参照。
1ヨハ 2:28 注4 これは、主の中に住まない(すなわち、キリストのパースンに対する純粋な信仰にしたがった神聖な命の交わりの中にとどまらない)で、キリストに関する異端的教えによって惑わされている(26節)信者たちが、彼から、彼の栄光あるパルーシアから退けられて恥に入れられることによって罰せられることを示しています。
1ヨハ 2:29 注2 ここで「彼が」は、三一の神―父、子、霊を万有網羅的に示しています。なぜなら、それは前の節の「彼」(来たるべき御子を示す)を指しており、この節の後半の「彼」(わたしたちを生んだ御父を示す)をも指しています。これは、御子と御父が一であることを強く現しています(ヨハネ10:30)。
1ヨハ 2:29 注3 これは第1章9節(1:9)の義なる神と、この章の1節(1節)の義人イエス・キリストのことを言っています。28節(28節)から始まる受取人全体に対するこの言葉の中で、使徒は神聖な命の交わり(1:3―2:11)と神聖な三一の油塗り(12―27節)から、神の義に強調を変えています。神聖な命の交わりと神聖な三一の油塗りは、一つの結果、すなわち義なる神の表現を持つはずです。
1ヨハ 2:29 注1 ギリシャ語は、知覚の認識を持った了解、さらに深く内側で見ることを示します。これは主を知るためです。
1ヨハ 2:29 注4 あるいは、・・・・を知りなさい(命令法)。
1ヨハ 2:29 注6 第1章6節(1:6)のノート5を参照。これは、ある特殊な行動をするように、ときどき意図をもって義を行なうのではなく、普通の日常生活として、習慣的に無意識に義を行なうことです。第3章7節(3:7)も同じです。これは、わたしたちがそれによって義なる神から生まれた、内側の神聖な命から生じる自然な生活です。ですから、それはすべての行為と働きにおいて、義なる神の生ける表現です。それは単に外側の振る舞いではなく、内なる命の現れです。それは単に意図的な行動ではなく、わたしたちがあずかっている神聖な性質からの命の流れです。これは、主の中に住む生活の第一条件です。それはすべて、神聖な誕生に基づきます。その誕生は、「彼から生まれた」という言葉、また次の節の「神の子供たち」(3:1)という称号で示されています。
1ヨハ 2:29 注7 ヨハネの手紙は、永遠の神聖な命の奥義について語っており、神聖な誕生(3:94:75:1,4,18ヨハネ1:12―13)、すなわちわたしたちの再生を(ヨハネ3:3,5)、多く強調しています。人が神から生まれ得たこと、罪人が神の子たちとされ得たことは、全宇宙における最大の奇跡です! そのような驚くべき神聖な誕生を通して、わたしたちは神聖な命を得ました。それは、わたしたちの中にまかれた神聖な種(3:9)としての永遠の命です(1:2)。この種から、神聖な命のすべての豊富が、わたしたちの内側から成長します。これによって、わたしたちは三一の神に住み、人の生活の中で神聖な命を生かし出します。すなわち、罪を犯さず(3:9)、義を行ない(2:29)、兄弟を愛し(5:1)、世に打ち勝ち(5:4)、悪しき者に触れられない命(5:18)を生かし出します。
1ヨハ 2:29 注5 ギリシャ語は、外側の客観的な知識を意味します(参照,ヨハネ8:55のノート1.ヨハネ21:17のノート2.ヘブル8:11のノート1)。これは人を知るためです。
1ヨハ 3:1 注1 第2章28節から第3章3節(2:283:3)の箇所は、神の子供たちの義なる生活に関する段落です。
[1ページ目] [前10ページ] [871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 ] [後10ページ] [最後のページ] 872/981ページ 計9804

オンライン聖書―回復訳-注解検索結果