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出典

フットノート

1ヨハ 3:6 注2 すなわち、習慣的に罪を犯さない。これも、主の中に住む生活の条件です。これは、神の子供たちは全く罪を犯さないということではありません。彼らも場合によっては、罪を犯す可能性があります。これは、再生されて、神聖な命を持ち、この命によって生きる信者は罪を犯さないと言っているのです。彼らの特質と習慣は、罪を犯すことではなく、主の中に住むことです。主の中に住むことは信者の生活であり、罪を犯すことは罪人の生活です。
1ヨハ 3:6 注3 すなわち、罪を行なう、罪の生活を生きる。
1ヨハ 3:6 注4 すなわち、主のビジョンを受けたことがなく、彼について何の認識も持っていない。これは未信者の状態のようです。
1ヨハ 3:7 注1 第2章1節(2:1)のノート1を参照。
1ヨハ 3:7 注2 あるいは、欺かれ。
1ヨハ 3:7 注3 文字どおりには、義を実行する。第1章6節(1:6)のノート5を参照。義を実行するとは、義なる生活を生き(参照,2:29のノート6)、神の支配する原則の下で義しく生きることです。これは続く節によれば、罪を犯すことではなく、また4節(4節)によれば、不法を行なうことではありません。これらすべては、わたしたち自身をきよくすることです(3節)。
1ヨハ 3:7 注4 文脈によれば、ここの「義」は、3節(3節)の「きよく」と等しいです。義であるとは、キリストがそうであるように、きよくて、いかなる罪、不法、不義の汚れもないことです。
1ヨハ 3:8 注1 最初の「犯す」は、文字どおりには、実行する。第1章6節(1:6)のノート5を参照。この節は、罪を実行すること(参照,4節のノート1)と罪を犯すことが本書では同意語であり、罪の中に生きること、罪を習慣的に犯すことを指すことを示しています。そのような生活は、悪魔から出ています。悪魔の生活は罪の生活であり、悪魔は初めから絶えず罪を犯してきました。罪は彼の性質であり、罪を犯すことは彼の性格です。
1ヨハ 3:8 注2 啓示録第2章10節(啓2:10)のノート1を参照。
1ヨハ 3:8 注3 絶対的な意味で、すなわち悪魔が神に反逆し、神の支配を覆すことを企て始めたその時から。第1章1節(1:1)のノート2、第二段落を参照。
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