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出典

フットノート

1ヨハ 3:11 注1 第2章7節(2:7)のノート1を参照。
1ヨハ 3:11 注3 これは、主の中に住む生活のさらに高い条件です。
1ヨハ 3:12 注2 第5章19節(5:19)のノート4を参照。
1ヨハ 3:12 注1 カインが悪しき者から出たことは、彼が悪魔の子供であることと等しいです。彼の兄弟アベルは神から出ました。すなわち神の子供でした(10節)。
1ヨハ 3:13 注1 カインのような世の人々は、悪魔の子供たち(10節)、サタンの宇宙的体系(世―ヨハネ12:31)の構成分子です。世の人々、悪しき者、悪魔の中に横たわっている者(5:19)が、信者たち(神の子供たち)を憎むとしても、わたしたちは怪しむことはありません。彼らがそうするのは自然なことです。
1ヨハ 3:14 注1 死は悪魔、神の敵サタンからであり、死をもたらす善悪知識の木で象徴されます。命は神、命の源からであり、命という結果になる命の木で象徴されています(創2:9,16―17)。死と命はこれら二つの源、サタンと神からだけでなく、それらはまた二つの本質、二つの要素、二つの領域です。死から命へと移るとは、死の源、本質、要素、領域から、命の源、本質、要素、領域へと移ることです。これは、わたしたちの再生の時に、わたしたちの中で起こりました。わたしたちはこれを知っています。すなわち、内なる感覚を持っています。なぜなら、わたしたちは兄弟たちを愛しているからです。兄弟に対する愛(神の愛)は、このことの強い証明です。主にある信仰は、わたしたちが死から命へと移る道です。兄弟に対する愛は、わたしたちが死から命へと移った証明です。信仰を持つとは、永遠の命を受けることです。愛するとは、その永遠の命によって生き、それを表現することです。
1ヨハ 3:14 注2 兄弟を愛さないのは、神聖な愛の本質と要素によって生きていないこと、またその領域の中にとどまっていないことの証明です。それは、サタンの死の本質と要素の中に生き、その領域の中に住んでいることです。
1ヨハ 3:15 注1 神聖な特質に対して、憎しみは愛と対比し、死は命と対比し、暗やみは光と対比し、偽り(虚偽)は真理と対比します。これらの神聖な美徳の正反対のものは、すべて悪しき者、悪魔から出ています。
1ヨハ 3:15 注2 ここの「人殺し」は、実際の殺人者ではなく、霊的な道徳において、憎むことが殺すことと等しいことを示しています。いかなる実際の殺人者も、救われていない者も、カインがそうであったように(12節)、その人の中に永遠の命を住まわせていません。わたしたちはこのことを知っており、死から命へと移され、内に住んでいる永遠の命を持っているのですから、主にある自分の兄弟たちを憎んで、救われていない人殺しのように振る舞うべきではありません。この区分は、主の中に住む生活についてです。永遠の命を持っていても、主の中に住まず、永遠の命である主を自分の中に住まわせて、活動させることをしない信者は、兄弟を憎んだり、時には他の罪を犯したりすることがあります。しかしこれは、習慣的であるはずはありません。
1ヨハ 3:16 注1 文字どおりには、魂。
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