出典 |
フットノート |
1ヨハ 3:16 注2 |
文字どおりには、魂(複数)。 |
1ヨハ 3:17 注1 |
文字どおりには、はらわた。 |
1ヨハ 3:17 注2 |
第2章5節(2:5)のノート2を参照。 |
1ヨハ 3:18 注1 |
第2章1節(2:1)のノート1を参照。 |
1ヨハ 3:18 注2 |
「行ない」は「言」と対比し、「真実」は「舌」と対比します。「舌」はむなしいおしゃべりを示し、「真実」は愛の実際を示します。 |
1ヨハ 3:18 注3 |
第1章6節(1:6)のノート6、要点7を参照。 |
1ヨハ 3:19 注1 |
わたしたちが神聖な誕生において神から受けた永遠の命の実際を示しています。それは、わたしたちが神聖な愛(14―18節)によって兄弟たちを愛することを可能にします。神聖な愛で兄弟たちを愛することによって、わたしたちはこの実際から出たものであることを知ります。第1章6節(1:6)のノート6を参照。 |
1ヨハ 3:19 注2 |
あるいは、説き伏せる、納得させる、保証する、平穏にする。神の御前で心に確信を持つとは、責められることのない正しい良心を持つことです(Iテモテ1:5,19.使徒24:16)。それは、心が説き伏せられ、納得させられ、保証され、平穏にされるためです。これも、主の中に住む生活の条件です。主の中に住むには、平穏な心と、責められることのない良心が必要です。これは神との交わりに極めて重要です。それはこの書簡の第一区分で取り扱われました。とがめのある良心によって乱された心は、わたしたちが主の中に住むことを妨げ、神との交わりを断ってしまいます。 |
1ヨハ 3:20 注1 |
事実上、わたしたちをとがめる(罪定めする)ものは、わたしたちの良心です。良心は霊の一部分であるだけでなく、心の一部分でもあります。心の中の良心は、わたしたちの内側を支配する神の代表です。良心がわたしたちを罪に定めるなら、神はその代表よりも大きくて、すべての事を知っておられますから、確かにわたしたちを罪に定められるでしょう。良心の中のそのような罪定めの感覚は、わたしたちに神との交わりを断つ危険性を警告します。わたしたちがこの感覚に注意を払うなら、それはわたしたちと神との交わりの助けとなり、わたしたちを守って主の中に住み続けさせるでしょう。 |
1ヨハ 3:21 注1 |
ギリシャ語は、「発言の大胆さ」、「確信」を意味します。わたしたちが平穏の中で大胆に神と接触し、彼と交わり、彼に求めるのは、わたしたちの心に良心の罪定めがないからです。これはわたしたちを守って、主の中に住み続けさせます。 |