出典 |
フットノート |
1ヨハ 5:10 注1 |
神は御子について証しされました。それは、わたしたちが御子を信じて、神聖な命を得るためです。わたしたちが御子を信じるなら、彼の証しを受け、自分自身の中に彼の証しを持ちます。そうでないと、わたしたちは、彼が証しされたことを信じませんし、彼を偽り者とします。 |
1ヨハ 5:11 注1 |
神の証しは、イエスは神の御子であるということだけでなく、彼はわたしたちに御子にある永遠の命を与えてくださるということでもあります。御子は、ご自身の永遠の命をわたしたちに与える手段であり、その永遠の命は、わたしたちに対する彼の目標です。 |
1ヨハ 5:12 注1 |
命は御子の中にあり(ヨハネ1:4)、御子は命ですから(ヨハネ11:25.14:6.コロサイ3:4)、御子と命は一であり、分離することはできません。ですから、御子を持つ者は命を持っており、御子を持たない者は命を持っていません。 |
1ヨハ 5:13 注1 |
聖書の書かれた言葉は、神の御子の名の中へと信じる信者たちが、永遠の命を持っていることを保証します。わたしたちが信じて、永遠の命を受けることは事実です。聖書の言葉は、この事実の確証です。それらの言葉は、わたしたちの永遠の救いの契約証書です。それらによって、神の御子の名の中へと信じるなら永遠の命を持つことを、わたしたちは確信しており、その担保を持っています。 |
1ヨハ 5:14 注3 |
わたしたちは、神の御子の中へと信じることによって、神聖な誕生を通して永遠の命を得ているという事実に基づいて、祈ることができます。すなわち、神に接触することによって、永遠の命の交わりの中で、責められるところのない良心のゆえに(使徒24:16)、大胆に、彼のみこころにしたがって祈り、彼がわたしたちに聞いてくださると、確信することができます。 |
1ヨハ 5:14 注1 |
4節から13節(4―13節)は、第1章1節から2節(1:1―2)で述べられているように、わたしたちがどのようにして永遠の命を受けたかを見せています。次に14節から17節(14―17節)は、第1章3節から7節(1:3―7節)で述べられているように、どのように永遠の命の交わりの中で祈るかを告げています。 |
1ヨハ 5:14 注2 |
わたしたちが神との交わりの中で、祈りに対して持っている大胆さのことを言います。第3章21節(3:21)のノート1を参照。 |
1ヨハ 5:15 注2 |
これは、わたしたち自身の中で、自分の思いによってではなく、主の中で、神のみこころにしたがって求めることです。 |
1ヨハ 5:15 注1 |
この知ることは、わたしたちが神聖な命を受けた後、主の中に住んでいて、御名の中での神への祈りにおいて彼と一である、という事実に基づいています(ヨハネ15:7,16.16:23―24)。 |
1ヨハ 5:16 注1 |
文字どおりには、向かう。 |