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出典

フットノート

1ヨハ 5:16 注2 これは、わたしたちが神との交わりの中に住んでいる時になされる祈りであるに違いありません。
1ヨハ 5:16 注4 疑いもなく、これは、祈り求める者の祈りを通して、祈り求めている者へ分与される霊の命のことを言っています。しかし文脈によれば、この霊の命は、祈り求められている人の肉体を、罪を犯したために死ぬことの危険からも救うでしょう(参照,ヤコブ5:15)。
1ヨハ 5:16 注3 この主語は、最初の述語「祈り求めるべきです」の主語の「彼」です。これは、祈り求める者が、彼の祈り求めている者に命を与えることを示します。これは、祈り求める者が自分の命を持っており、自ら人に命を与えることができる、という意味ではありません。それは、主の中に住んでおり、主と一つであって、主と一つ霊の中で(Iコリント6:17)祈り求めている者が、彼の祈り求めている人に、神の命を与える霊が命を与えることのできる手段となることを意味します。これは、神聖な命の交わりの中で命を分け与えることです。人に命を与えることのできる者となるには、神聖な命の中に住み、歩み、生き、存在しなければなりません。ヤコブの手紙第5章14節から16節(ヤコブ5:14―16節)では、祈りはいやしのためです。ここの祈りは、命を分け与えるためです。
1ヨハ 5:16 注5 「死に至る罪」については、聖書教師たちにさまざまな解釈があります。ある者は、イエスがキリストであることを否定する反キリストの罪であって(2:22)、それが彼らを永遠に死の中にとどめると言います。しかしこの節の文脈によれば、「死に至る罪」は、罪を犯している兄弟についてであって、反キリストや他の未信者についてではありません。14節から17節(14―17節)のこの区分は、永遠の命の交わり(1:3―2:11)の中の祈りと関係がありますから、それが語るものは何であれ、神聖な命の交わりの事柄に関係しているに違いありません。神聖な命の交わりには、神の子供たちめいめいの霊的状態にしたがって、神の統治上の取り扱いがあります。神の統治上の取り扱いにおいて、神の子供たちのある者は、ある罪のゆえに、肉体がこの時代に死ぬことが定められ、またある者は、他の罪のゆえに、肉体の死に定められるでしょう。そのような状況は、アナニヤとその妻サッピラの場合のようです。彼らは聖霊に対して虚偽を言ったために、肉体の死によって取り扱われました(使徒5:1―11)。コリントの信者たちの場合もそうです。彼らはからだをわきまえなかったために、同じ裁きによって取り扱われました(Iコリント11:29―30)。これは、神がイスラエルの子たちを、荒野で取り扱われたことで予表されます(Iコリント10:5―11)。イスラエル人はすべて、カレブとヨシュアを除いて、ある罪のゆえに、神によって肉体の死で裁かれました。神の統治上の取り扱いは厳格です。ミリアム、アロン、モーセでさえ、彼らの失敗のゆえに、このような取り扱いを免れませんでした(民12:1―1520:1,12,22―29申1:373:26―2732:48―52)。神の子供たちを取り扱う神の統治上の懲罰は、永遠の滅びとは全く関係がありません。それは神聖な統治による経綸上の対処、わたしたちと神との交わり、また互いの交わりに関する対処です。罪が死に至るかどうかは、罪を犯している信者たちの、神の家における立場と状態にしたがった神の裁きに基づいています。どんな場合でも、神の子供たちが罪を犯すのは重大な事柄です。それはこの時代に、肉体の死をもって神に裁かれるかもしれません! 使徒は死に至る罪について、祈り求めるべきであるとは言いませんでした。
1ヨハ 5:17 注1 公正でも義でもない、あらゆる不正な行為は罪です(参照,3:4とノート2)。
1ヨハ 5:18 注1 罪を犯すことは、神聖な命の交わりを中断させるだけでなく(1:6―10)、肉体の死をもたらすことさえあります(16―17節)。そのような罪を犯すことを避けるために、使徒は神聖な命の力を確信して、再び神聖な誕生を強調します。この誕生は、勝利の生活の基礎です。この神聖な誕生の基本的な事実は、わたしたち再生された者に、罪を犯すこと(3:9とノート2)、すなわち、罪の中に生きること(ローマ6:2)を許しません。第2章29節(2:29)のノート7を参照。
1ヨハ 5:18 注2 ある教師たちは、ここの「者」とはキリストのことであり、彼は神から生まれ、ヨハネによる福音書第17章15節(ヨハネ17:15)に基づいて、再生された者を守る方であると言います。ところが、この節の二番目の「神から生まれた」という句は、前の句の繰り返しであるので、その「者」はやはり再生された信者を指すとするのが論理的で、それを決定する要因であるはずです。再生された信者(神の霊から生まれた者の特に再生された霊―ヨハネ3:6)は、罪の中に生きることから自分自身を守り、そして悪しき者は彼(特に彼の再生された霊)に触れることはありません。彼の霊における神聖な誕生と神聖な命は、そのような保護の基本的要因です(参照,4節のノート1)。
1ヨハ 5:18 注3 すなわち、目を覚まし、注意して自らを守る。
1ヨハ 5:18 注4 19節(19節)のノート4を参照。
1ヨハ 5:18 注5 すなわち、害を与え、邪悪な目的を果たすためにつかむ、捕らえる。
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