出典 |
フットノート |
マタイ 22:17 注1 |
これは完全にわなにかける質問でした。カイザルに税を納めることは、すべてのユダヤ人が反対でした。もし主イエスが、そうしてもよいと言われたなら、パリサイ人を指導者とするすべてのユダヤ人をつまずかせたでしょう。もし彼が、それはいけないと言われたなら、ローマ政府の味方であったヘロデ党の者たちに、彼を訴える有力な根拠を与えたでしょう。 |
マタイ 22:18 注1 |
第6章2節(6:2)のノート2を参照。 |
マタイ 22:19 注1 |
主イエスがローマの貨幣を見せたのではなく、それを見せるよう彼らに求められました。彼らはローマの貨幣の一つを持っていたので、捕らえられました。 |
マタイ 22:19 注2 |
ヨハネ第6章7節(ヨハネ6:7)のノート1を参照。 |
マタイ 22:21 注1 |
これは、カイザル政府の規定にしたがって、カイザルに税金を納めることです。 |
マタイ 22:21 注2 |
これは、出エジプト記第30章11節から16節(出30:11―16)にしたがって、神に半シケルを納めることであり、神の律法にしたがって、すべての十分の一をささげることです。 |
マタイ 22:23 注1 |
第3章7節(3:7)のノート2を参照。 |
マタイ 22:29 注1 |
聖書を知るのは一つのことであり、神の力を知るのは別のことです。わたしたちは両方とも知る必要があります。ここの聖書は、復活に関する旧約の節のことを言っており、神の力は、復活の力のことを言っています。 |
マタイ 22:32 注1 |
神は生きている者の神であって、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼ばれているのですから、死んだアブラハム、イサク、ヤコブは復活させられます。これが、主イエスが聖書を解説された方法です。すなわち、文字によるだけでなく、その中に含まれている命と力によって解説されたのです。 |
マタイ 22:35 注1 |
モーセの律法に精通した人、旧約の律法を解釈する専門家。 |