出典 |
フットノート |
啓示録 22:2 注5 |
命の木の葉は諸国民をいやすためです。聖書では、葉は人の行為の象徴です(創3:7)。命の木の葉はキリストの行為を象徴します。再生した信者たちは命の木の実を食べ、キリストを彼らの命と命の供給として受け入れ、永遠にわたって神聖な命を享受します。ところが復興された諸国民は、命の木の葉によっていやされ、キリストの行為を彼らの外なる導きと規正として受け取り、いつまでも人の生活を生きます。 |
啓示録 22:3 注2 |
のろいはアダムの堕落を通して入って来て(創3:17)、キリストの贖いによって対処されました(ガラテヤ3:13)。新天新地ではもう堕落はないのですから、もはやどんなのろいもありません。 |
啓示録 22:3 注1 |
あるいは、のろわれたもの。 |
啓示録 22:3 注3 |
神と小羊の御座は、神の贖われた者が、永遠において享受する祝福の一つです。彼らはもはやどんなのろいも受けることはなく、神と小羊の御座が彼らの永遠の分け前です。 |
啓示録 22:3 注5 |
「彼」は、4節(4節)の「彼」と同じく、神と小羊を指しています。神と小羊は永遠に一です。 |
啓示録 22:3 注4 |
ギリシャ語は、祭司として仕えることを意味します。神と小羊に仕えることは、神の贖われた者に対する永遠における祝福でもあります。 |
啓示録 22:4 注1 |
神と小羊の御顔を見ること、また彼の御名が彼らの額にあることは、永遠において神に贖われた者が享受する三一の神の祝福です。 |
啓示録 22:5 注1 |
第21章25節(21:25)のノート2を参照。 |
啓示録 22:5 注2 |
ともし火の光は人によって作られ、太陽の光は神によって創造されます。 |
啓示録 22:5 注3 |
主なる神が彼らを照らすことは、神の贖われた者に対する永遠におけるもう一つの祝福です。 |