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出典

フットノート

啓示録 22:5 注4 永遠にわたって支配することは、神の贖われた者に対する永遠における最終の祝福です。
啓示録 22:6 注1 ここの御使いは、第21章9節(21:9)の御使いのことです。
啓示録 22:6 注3 この書で、神であられる主は、預言者たちの霊の神です。これは、この書のすべての預言が、旧約と新約の両方の預言者たちの霊を感動した神によって霊感を受けていることを示します。それはまた、これらの預言が、旧約と新約の預言と関係があり、それらはすべて神の霊感の下で、預言者たちによって、彼らの霊の中で語られたものであることを示します。ですから、これらの預言を理解するには、わたしたちも霊の中で、神の油塗りの下にいる必要があります。
啓示録 22:6 注2 「神であられる主」、すなわち、御使いを遣わしてこの書にある事柄を見せられた方は、主イエスです(1:122:16)。
啓示録 22:7 注1 「わたしはすぐに来る」は、主の警告です。この警告を心にとめるなら、わたしたちは幸いです。そうでないと、わたしたちは祝福を失います。
啓示録 22:10 注1 ダニエルの予言が封じられたのは、それが終わりの時のはるか以前に与えられたからです。ところが、この書の予言は封じられるべきではありません。なぜなら、時が近いからです。
啓示録 22:11 注1 本書の時代に、だれかが不義であるか義であるか、汚れているか聖であるかは、厳粛な事柄です。義であるとは、外側で神の義の道にしたがって歩くことです。聖であるとは、内側で神の聖なる性質にしたがって生きることです。この書の時代に、褒賞を得るためにはこのように歩き、また生きなければなりません。そうでないと、わたしたちは不義で汚れているとして罪に定められ、主の再来の時に懲罰を受けるでしょう(12節)。
啓示録 22:12 注1 主は彼の警告、「わたしはすぐに来る」を繰り返されました。それは、わたしたちが彼の再来の時に与えられる彼の報いを、よくよく考えるためです。
啓示録 22:12 注2 文字どおりには、賃金。主の再来の時に、この報いは信者たちそれぞれに、彼らが携え上げられた後、キリストの裁きの座で与えられます(IIコリント5:10Iコリント4:5ローマ14:10マタイ16:27)。
啓示録 22:13 注1 これは、本書の終わりにある主の宣言です。それは、この書の開始で神が宣言されたことと一致しています(1:8)。これは、主イエスが神であることを示しています。
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