出典 |
フットノート |
啓示録 9:20 注2 |
詩篇第115篇5節(詩115:5)、第135篇16節(詩135:16)とは対照的に、この節は、偶像が語れないとは言いません。なぜなら、反キリストの像がものを言うからです(13:15)。 |
啓示録 10:1 注1 |
第10章1節から第11章13節(10:1、11:13)の区分は、第六のラッパと第七のラッパの間の挿入部分です。 |
啓示録 10:1 注2 |
ここの「もう一人の強い御使い」は、第7章2節(7:2)、第8章3節(8:3)、第18章1節(18:1)の方と同じく、キリストです。この時、彼は天から下って来られます。第六と第七のラッパの間の挿入部分であるこのビジョンは、第七のラッパの前にはキリストが地に向かわれる途中であることを暗示しています。この時、彼は雲に包まれており、第14章14節(14:14)とマタイによる福音書第24章30節(マタイ24:30)、第26章64節(マタイ26:64)のように、まだ雲に乗っておられるのではありません。雲に乗ってとは、公に来ることであり、雲に包まれてとは、ひそかに来ることです。これは、第六のラッパの後でさえ、キリストはまだ公にではなく、ひそかに来ることを示しています。ついには第1章7節(1:7)やマタイによる福音書第24章30節(マタイ24:30)に述べられているように、キリストはこの時、公に来られるので、地上のすべての諸族は彼を見るでしょう。 |
啓示録 10:1 注3 |
ここの虹は、キリストが地を裁かれる時、神が地についてノアと結ばれた契約を守られることを示します(創9:8―17)。それはまた、キリストが、その周囲に虹のある御座に座しておられる神にしたがって、裁きを行なわれることを示します(4:2―3)。彼は信実で契約を守られる神です。 |
啓示録 10:1 注4 |
キリストは、地上の民に公に到来するのが間近い時、明けの明星のようにではなく、太陽のようになられます。明けの明星は、夜明け前の最も暗い時に、主を愛し彼を待ち望む者たちに現れます(参照,2:28とノート1.IIペテロ1:19とノート4)。 |
啓示録 10:1 注6 |
ここの火は、神の聖別を象徴します(出19:18.ヘブル12:29)。キリストは神の聖別にしたがって、彼の裁きを地上に執行されます。 |
啓示録 10:1 注5 |
ここの柱は、確固不動を示しています(エレミヤ1:18.ガラテヤ2:9)。 |
啓示録 10:2 注1 |
この小さな開かれた巻物は、第5章1節(5:1)の巻物です。それは、キリストだけが開くのにふさわしく、彼はそれを神の御手から受け取られました(5:5,7)。今それは彼の手にあります。第5章1節(5:1)では封印されていましたが、ここでは開かれています。ここでは巻物の一部分だけですから、それは「小さな・・・・巻物」と呼ばれています。巻物の大部分はすでに啓示されました。 |
啓示録 10:2 注2 |
キリストが足を海の上と陸の上に置くとは、それらを踏むことであり、それらを踏むとはそれらを所有することです(申11:24.ヨシュア1:3.詩8:6―8)。これは、キリストが地を所有しに下って来られることを示しています。彼だけが、神のエコノミーの巻物を開くのにふさわしく、彼だけが、地を所有する資格があります。 |
啓示録 10:3 注1 |
獅子のほえる声は、王の激怒のようです(箴19:12.20:2)。これは、キリストが地の王として激しく怒られることを示します。 |