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出典

フットノート

啓示録 21:18 注4 あるいは、透明な、透き通った。
啓示録 21:19 注1 新エルサレムは土台のある都です(ヘブル11:10)。土台は小羊の十二使徒であり(14節)、彼らはそれぞれ宝石で象徴されています。十二使徒の最初の者であるペテロの、もとの名はシモンでした。シモンが主に連れて来られた時、主は彼の名を「石」を意味するペテロに変えられました(ヨハネ1:42)。その後、主はご自身の召会の建造について語られた時、彼をこの名で呼ばれました(マタイ16:18)。宝石は造られたのではなく、創造されたものからの造り変えによって生み出されます。すべての使徒は、粘土のかたまりに創造されました。しかし彼らは再生され、神の永遠の建造のための宝石に造り変えられたのです。すべての信者は新エルサレムの一部分となるために、このように再生され造り変えられる必要があります。
 十二使徒を象徴する土台の十二の宝石の色は、次のとおりです。第一は緑、第二と第三は青、第四は緑、第五と第六は赤、第七は黄色、第八は青みがかった緑、第九は黄色、第十はひすい色、第十一と第十二は紫です。上記の色の十二層の土台は、虹のようです。それは、契約を守る神の信実の上に都が建造され、それによって保証されていること(創9:8―17)を象徴します。都の土台は信頼することができ、依り頼むことができます。
啓示録 21:19 注2 城壁の土台の第一の層は、新エルサレムの全城壁と同じように、碧玉で建てられています(18節)。これは、聖なる都の建造における主要な材料が、碧玉であることを示します。碧玉は、彼の伝達し得る栄光の中で表現された神を象徴するので(4:3)、聖なる都の主要な機能は、神の栄光を帯びることによって神を表現することです(11節)。
啓示録 21:21 注1 真珠は、死の水の中の貝によって生み出されます。真珠貝が砂粒によって傷つけられると、命の液を砂の周りに分泌し、それを尊い真珠にします。これは、生ける方であるキリストが死の水の中に入って来て、わたしたちによって傷つけられ、彼の命をわたしたちの上に分泌して、わたしたちを神の永遠の表現である建造のための尊い真珠にしてくださることを、描写しています。聖なる都の十二の門が十二の真珠であることは、死に打ち勝ち、命を分泌するキリストによる再生が、その都への入り口であることを象徴します。これは、イスラエルに代表され、護衛する御使いたちの監視の下で、律法の要求を満たします(12節)。
 新エルサレムは、三種類の尊い材料で建造されていますが、それは三一の神による建造を象徴します。まず、都そのものとその大通りは純金です(18,21節)。金は、神の神聖な性質のしるしであり、源なる父を象徴します。御父から、その都の実質的存在の要素が生み出されます。第二に、都の十二の門は真珠です。それは、御子の勝利の死と命を与える復活を象徴し、それを通して都に入ることができます。第三に、都の城壁と土台が、宝石で造られています。これは、その霊の働きを象徴し、贖われ、再生された聖徒たちを、神の永遠の住まいのための宝石に造り変えます。それは、彼らが神の浸透する栄光によって、神を団体的に表現するためです。エデンの園では、これら三種類の宝石は、材料として存在しただけですが(創2:11―12)、新エルサレムの都では、これらの尊い材料は、神の永遠の目的を成就するため、すなわち彼の団体の表現を得るために、建造された都となります。
啓示録 21:21 注2 聖なる都のそれぞれの門が一つの真珠であるのは、都に入るのが唯一で、一度限りであることを意味します。すなわち、キリストの勝利の死と命を与える復活によって達成された一度限りの再生を通して、わたしたちは都に入ることができるのです。
啓示録 21:21 注3 門は都に入るためですが、大通りは都における日ごとの歩み、日常生活のためです。都に入るのは、キリストの死と復活を通してですが、都における日ごとの歩み、日常生活は、神の神聖な性質にしたがってです。これは、大通りが純金であることで象徴されています。再生の入り口に続いて、聖徒たちの日ごとの生活と歩みは、神の神聖な性質の道にいなければなりません。神の神聖な性質が彼らの道です。
啓示録 21:21 注4 純金は、新エルサレムの大通りと都そのものを象徴しており、それは純粋なガラスのようです(18節)。これは、都全体が透明であることを象徴します。真珠は不透明であるかもしれませんが、それらはどれも開かれた大きな門であって、昼も夜も閉ざされることはありません(25節)。
啓示録 21:22 注2 ギリシャ語は、内なる宮を意味します。この内なる宮が、主なる神、全能者と小羊です。それは、神と小羊ご自身が、わたしたちの神に仕える場所であることを象徴します。神の幕屋としての聖なる都は、神が住まわれるためであり、宮としての神と小羊は、贖われた聖徒たちが住むためです。新天新地では、新エルサレムは神と人の両方が、永遠にわたって相互に住み合う所です。
啓示録 21:22 注1 旧約で、神の幕屋は神の宮の前身でした。神の幕屋としての新エルサレム(3節)は、神の宮です。これは、新天新地で神の宮が拡大されて、一つの都になることを示します。その都の三つの寸法が等しいのは(16節)、都全体が至聖所、内なる宮であることを示します。ですから、それには宮がないのです。
啓示録 21:23 注1 千年期では、日と月の光は増強されます(イザヤ30:26)。しかし新天新地の新エルサレムでは、太陽も月も輝く必要がありません。太陽と月は新天新地でもありますが、その輝きは、新エルサレムでは必要がありません。なぜなら神、神聖な光が、はるかに明るく輝くからです。
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