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出典

フットノート

啓示録 22:16 注4 キリストは彼の再来の時、彼の民には一般的に昇る太陽ですが(マラキ4:2)、目を覚ましている彼を愛する者たちには、特に明けの明星です。後者は勝利者たちに対する褒賞です(2:28)。キリストがダビデの根また子孫であることは、イスラエルと王国と関係があります。キリストが輝く明けの明星であることは、召会と携え上げと関係があります。明けの明星は、夜明け前の最も暗い時に現れます。大患難はこの最も暗い時であり、その後、王国の朝が訪れます。王国で、主はその民に太陽として公然と現れますが、大患難の前には明けの明星として、彼の勝利者たちにひそかに現れます。
啓示録 22:17 注1 第2章と第3章では、諸召会に語るのはその霊でした。この書の終わりのこの箇所では、その霊と花嫁である召会とが一つになって共に語っています。これは、その霊を経験することでの召会の進歩を示しています。召会は進歩して、三一の神の究極的完成であるその霊と一つになっています。
 聖書全体の啓示は、宇宙的夫婦の愛の物語をわたしたちに見せています。すなわち、宇宙と万物を創造された主権者なる主、受肉、人の生活、十字架、復活、昇天の手順を経た父、子、霊の三一の神が、最終的に命を与える霊と成られて、創造され、再生され、造り変えられ、栄光化された、霊、魂、体の三部分から成る人、最終的に神の表現である召会を構成する者と、結婚において結合されます。終わりのない永遠において、神聖で、永遠の、卓越した栄光の命によって、彼らは神と人が一つ霊に混ざり合う生活、最高にすばらしい、祝福と喜びに満ちあふれた生活をします。
啓示録 22:17 注2 「来たりませ!」は、その霊と花嫁の、16節(16節)の主の言葉と、7節(7節)と12節(12節)の繰り返された彼の警告に対する応答です。この言葉は、主の到来を待ち望む現れです。この応答を聞く者はだれでも、また「来たりませ!」と言うはずです。こうして、主の到来に対する共同の願望を言い表すのです。主の出現を慕うすべての信者は(IIテモテ4:8)、このような共同の願望を言い表すべきです。
啓示録 22:17 注3 その霊と花嫁は、一方で主の来られるのを待ち望み、もう一方で、渇いている罪人も満足のために来て、命の水を飲むようにと切望します。主の到来に対して真剣な願いを持つ時、わたしたちは罪人の救いのために熱心な関心をも持ちます。
啓示録 22:17 注4 14節(14節)のノート1を参照。
啓示録 22:18 注1 ここの「わたし」は、16節(16節)と20節(20節)によれば主イエスです。しかしながら、第1章2節(1:2)によれば、ヨハネであるとも言うことができます。いずれにしても、ヨハネはこの厳粛な警告において、霊の中で主と一つでした。
啓示録 22:18 注2 本書に啓示されている災害の主要な項目は、大患難の三つの災いと第二の死、すなわち、火の池で人全体、霊と魂と体が滅びることです。本書に啓示されている祝福の際立った特徴は、命の木と聖なる都です。災害を受けるか、祝福にあずかるかは、この書の予言に人がどう対応するかにかかっています。わたしたちはその予言に付け加えることも、何かを取り去ることもしてはなりません。わたしたちは、それが書かれているとおりに受け取らなければなりません。
啓示録 22:19 注1 18節(18節)のノート2を参照。
啓示録 22:20 注1 主がすぐに来られるとの警告は、この章ではこれで三度目です。
啓示録 22:20 注2 これは、主の警告に対する使徒ヨハネの祈りと応答です。それはまた、聖書における最後の祈りでもあります。この書の語りかけを聞いた後、わたしたちはみなこのような祈りと応答をなすべきです―「主イエスよ、来たりませ!」。全聖書は、主の到来を切に待ち望む祈りの言葉で結んでいます。
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