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出典

フットノート

啓示録 21:27 注2 文字どおりには、巻物。
啓示録 22:1 注3 命の水は水晶のように輝いていて、少しの暗さも不透明なところもありません。この命の水がわたしたちの内を流れる時、それはわたしたちを清めて、水晶のように透明にします。
啓示録 22:1 注2 命の水は、神がキリストにあって霊と成って、ご自身を彼の贖われた民の中に流れ込ませ、彼らの命また命の供給となられることの象徴です。それは、裂かれた岩から流れ出た水で予表され(出17:6民20:11)、主イエスの刺されたわき腹から流れ出た水で象徴されます(ヨハネ19:34)。ここで、この命の水は一つの川となり、神と小羊の御座から流れ出て、新エルサレム全体を供給し、浸透します。ですから、この都は神聖な命で満たされ、神の命の栄光の中で、神を表現するのです。
啓示録 22:1 注1 この川は、創世記第2章10節から14節(創2:10―14)、詩篇第46篇4節(詩46:4)、エゼキエル書第47章5節から9節(エゼキエル47:5―9)の川で予表されており、その流れにおける命の豊かさを象徴しています。それは、創世記第2章10節から14節(創2:10―14)で一つの川が四つに分かれるように、聖なる都の四方向をくまなく流れる一つの川です。その豊かさを持つこの川は、ヨハネによる福音書第7章38節(ヨハネ7:38)に示されているように、わたしたちの経験の中では多くの川となります。それは、神の命の霊の豊かさを、さまざまな面で経験するためです(ローマ8:215:30Iテサロニケ1:6IIテサロニケ2:13ガラテヤ5:22―23)。
啓示録 22:1 注4 「神と小羊の御座」は、神と小羊の両方のための一つの御座であり、これは、神と小羊が一であること、すなわち小羊・神、贖う神、贖い主なる神を象徴します。永遠では、御座に座しておられる神は、わたしたちの贖いの神であり、その方の御座から、命の水の川が、わたしたちの供給と満足のために流れ出ます。これは三一の神―神、小羊、その霊(命の水で象徴されている)が彼の贖われた者たちに、いかに彼の頭首権の下で(御座の権威で暗示されている)、永遠にご自身を分与されるかを描写しています。
啓示録 22:1 注5 聖なる都の大通りは純金です(21:21)。金は神聖な性質を象徴します。「大通りの中央を」流れている命の水の川は、神聖な命が、神の贖われた民の日常生活のための唯一の道として、神聖な性質の中を流れることを象徴します。神聖な命が流れる所には、神聖な性質があります。彼の民は神聖な性質によって聖なる道を歩くのです。そして神聖な性質の聖なる道のある所には、神聖な命が流れています。聖なる道には、いつも神聖な命と神聖な性質が伴っています。ですから、神の命の水の川は神聖な道に沿ってあずかることができ、わたしたちはこの命の道を歩くことによって、川を享受することができます。
啓示録 22:2 注1 川の両側に成長している一本の命の木は、その命の木がぶどうの木であること、それは命の水の流れに沿って広がり、伸びていて、神の民が受けて享受することを象徴します。この木は神が初めから意図されたことを(創2:9)、永遠にわたって成就します。命の木は、人の堕落のゆえに、人に対して遮断されていました(創3:22―24)。しかしキリストの贖いによって、信じる者たちに対して開かれました(ヘブル10:19―20)。今日では、命の木としてのキリストの享受は、信者たちの共通の分け前です(ヨハネ6:35,57)。千年王国では、勝利の信者たちが、命の木なるキリストを経綸上の褒賞として享受します(2:7)。最終的に、新天新地では、神に贖われた者たちはすべて、彼らの永遠の分け前として、命の木なるキリストを永遠にわたって享受します(14,19節)。命の木であるキリストは、命の水であるその霊の流れに沿って、自由にいつでもあずかることのできる命の供給です。その霊の流れる所には、キリストの命の供給があります。これは、その大通りが象徴しているように、すべて神聖な性質の中で、また神聖な性質をもって、わたしたちの聖なる道とします。これは聖なる都の供給であり、またこれはその都が供給される道です。
啓示録 22:2 注2 命の木の実は、永遠にわたって、神に贖われた者たちの食物となります。それらは絶えず新鮮であり、年ごとに十二の実を毎月みのらせます。命の木が十二種の実を結ぶとは、命の木の実が豊かであり、神の永遠の行政を遂行するのに十分であることを意味します。
啓示録 22:2 注3 文字どおりには、それぞれの月にしたがって。
啓示録 22:2 注4 「月」は、新天新地では月が依然としてあって、十二か月を区切ることを示しています。太陽もそこにあって、夜と昼をそれぞれ十二時間に分けます。召会を代表する数は七であって、神が彼の現在の時代に、彼の創造物、人に加えられることを象徴します。新エルサレムを代表する数は十二であって、神が彼の永遠の行政の中で、彼の創造物、人と混ざり合わされることを象徴します。新エルサレムには、十二使徒の名が刻まれた十二の土台、十二部族の名が刻まれた十二の真珠の十二の門、命の木の十二の実があります。空間については、都そのものは長さと幅と高さが一万二千スタデヤ、十二の千倍であり、その城壁の高さは百四十四キュビト、十二の十二倍です。時間については、新天新地では年間十二か月、昼は十二時間、夜は十二時間です。
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