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出典

フットノート

マタイ 4:25 注1 暗やみの中の大いなる光である新しい王の輝きの下で、大群衆は彼に引き付けられ、天の王国のために彼に従いました。
マタイ 4:25 注2 十の都市の区域。
マタイ 5:1 注1 新しい王が従う者たちを召されたのは海辺でした。しかし、天の王国の憲法を彼らに与えるために、彼は山へ登られました。これは、天の王国を認識するために、わたしたちが彼と共にさらに高い所へ行く必要があることを示します。
マタイ 5:1 注2 新しい王が山の上で座られた時、彼の弟子たちは(群衆ではない)彼の所に来て、彼の聴衆となりました。最終的に、信じたユダヤ人だけでなく、連れ戻された諸国民(異邦人――28:19)も、彼の弟子となりました。後ほど、弟子たちはクリスチャンと呼ばれました(使徒11:26)。ですから、新しい王が山の上で天の王国の憲法について語られた第5章から第7章の言葉は、旧約のユダヤ人に対してではなく、新約の信者たちに対して語られたのです。
マタイ 5:3 注3 ここの「霊」は、神の霊ではなく、わたしたちの人の霊、わたしたちの最も深い部分、わたしたちが神に接触し、霊的な事柄を認識する器官のことです。わたしたちはこの部分において貧しくあり、空にされ、荷が下ろされている必要があります。それは、わたしたちが天の王国を認識し、所有するためです。これは天の王国が霊的であって、物質的ではないことを意味します。
マタイ 5:3 注2 霊の中で貧しいとは、へりくだっているだけでなく、わたしたちの霊の中で、わたしたちの深い所で空にされており、旧経綸の古いものにしがみつかず、新しい事柄、天の王国の事柄を受け入れるために荷が下ろされていることです。
マタイ 5:3 注1 ギリシャ語は、「幸福」を暗示します。それは、「祝福されて幸いである」と訳すこともできます。続く節も同じです。新しい王が天の王国の憲法として語られた言葉は、天の王国の霊的生活と天の原則の啓示です。それは七つの区分から成っています。第一の区分(3―12節)は、九つの祝福の下にある天の王国の民の性質を描写しています。彼らは霊の中では貧しく、現在の状態を悲しみ、反対を受ける中でも柔和で、義に飢え渇き、他の人にあわれみ深く、心が純粋で、すべての人との平和をつくり、義のために迫害され、主のために非難を受け、悪口を言われる人たちです。
マタイ 5:3 注4 「天の王国」は、マタイによる福音書でもっぱら使われている言葉であり、天の王国が、他の三つの福音書で使われている神の王国とは違うことを示しています(参照、30―31ページの図表)。神の王国は、永遠の過去から永遠の未来にわたる神の支配を一般的に言っています。それは、この世の基の置かれる前の、初めのない永遠から、選ばれた父祖たち(アダムのパラダイスを含む)、旧約におけるイスラエルの国、新約の召会、来たるべき千年王国(天の部分である天の王国の出現と、地上の部分であるメシヤ王国を含む)、終わりのない永遠にわたる新エルサレムを伴う新天新地を含みます。天の王国は、神の王国の中の限られた部分であり、今日の召会と来たるべき千年王国の天の部分だけを含みます。ですから天の王国は、神の王国の一部分として、新約の中で、特に他の三つの福音書で、「神の王国」とも呼ばれています。神の王国は全般的で、旧約においてイスラエルの民と共にすでに存在していました(21:43)。それに対して、天の王国は、特定の範囲を指しており、旧約の時代にはまだ来ておらず、バプテスマのヨハネが来た時も、近づいていたにすぎませんでした(3:1―211:11―12)。
 マタイによる福音書によれば、天の王国に関して、その実際、外観、出現の三つの面があります。天の王国の実際は、その天的で霊的な性質における、天の王国の内容です。これは、第5章から第7章で、新しい王によって山の上で啓示されています。天の王国の外観は、名目上の天の王国の状態で、第13章で王によって海辺で啓示されています。天の王国の出現は、天の王国が力をもって実際に到来することで、第24章から第25章で、王によってオリブ山で啓示されています。天の王国の実際と外観は、今日の召会にあります。天の王国の実際は、正当な召会生活です(ローマ14:17)。それは、キリスト教世界として知られる、天の王国の外観の部分に存在します。天の王国の出現は、第13章43節で父の王国と呼ばれている、来たるべき千年王国の天の部分です。千年王国の地上の部分はメシヤ王国です。このメシヤ王国は、第13章41節で人の子の王国と呼ばれており、修復したダビデの幕屋、ダビデ王国です(使徒15:16)。千年王国の天の部分は、力をもって現れる天の王国です。そこで勝利を得た信者たちは、千年の間キリストと共に支配します(啓20:46)。千年王国の地上の部分は、地上のメシヤ王国です。そこではイスラエルの救われたレムナント(残された者)は祭司となって、諸国民に神を礼拝することを教えます(ゼカリヤ8:20―23)。
 わたしたちが霊の中で貧しくあれば、天の王国はわたしたちのものです。すなわち、霊の中で貧しくあれば、わたしたちは今日、召会時代において、その実際の中にいることができ、王国時代において、その出現にあずかることができます。
マタイ 5:4 注1 この世のすべての状況は、神のエコノミーに対して否定的です。サタン、罪、自己、暗やみ、この世が、地上のすべての人の間で勢力を振るっています。神の栄光は侮られ、キリストは拒否され、聖霊は阻まれ、召会は荒廃し、自我は腐敗し、全世界は邪悪です。ですから神は、わたしたちがこのような事態を悲しむことを望んでおられるのです。
マタイ 5:4 注2 もしわたしたちが、神とそのエコノミーにしたがって悲しむなら、天の王国という褒賞を受けることによって慰められます。わたしたちは神の天的支配が、すべての否定的な状態を管理するのを見るでしょう。
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