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出典

フットノート

マタイ 5:22 注4 この節には三種類の裁きがあります。第一は町の門での裁き、地方の裁きです。第二はサンヒドリンによる裁き、さらに高い裁きです。第三は火のゲヘナを通しての神による裁き、最高の裁きです。新しい王は、これら三種類の裁きを、ユダヤ的背景から述べられました。なぜなら、彼の聴衆はすべてユダヤ人であったからです。しかしながら、王国の民である新約の信者たちに関しては、これらの裁きはすべて、キリストの裁きの座での主の裁きを言っています。それは、IIコリント第5章10節、ローマ第14章10、12節、Iコリント第4章4節から5節、第3章13節から15節、マタイ第16章27節、啓示録第22章12節、ヘブル第10章27、30節で啓示されています。これは、新約の信者たちが、神によって永遠に赦されてはいるものの、もしここに与えられているような王国の新しい律法に違犯して罪を犯すなら、滅びのためではなく、懲らしめのために、主の裁きを受けなければならないことをはっきりと啓示しています。しかしながら、わたしたちが王国の新しい律法に違犯して罪を犯した場合も、罪を悔い改め告白するなら、主イエスの血によって赦され、清められます(Iヨハネ1:79)。
マタイ 5:22 注5 すなわち、愚か者、役立たず。軽べつの表現。
マタイ 5:22 注6 サンヒドリンは祭司長、長老、律法学者、聖書学者から成る議会です。それはユダヤ人の最高の法廷でした(ルカ22:66使徒4:5―6155:273441)。
マタイ 5:22 注7 すなわち、ばか者。罪定めの時のヘブルの表現で、反逆者を指して使われる言葉です(民20:10)。この表現は、軽べつの表現、「ラカ」よりもひどい言葉です。
マタイ 5:22 注8 「ゲヘナ」は、ヘナの谷で、ヘブル語の「ゲ・ヒンノム」、ヒンノムの谷と等しいです。それはトペテ、あるいはトペツとも呼ばれ(列王下23:10イザヤ30:33エレミヤ19:13)、エルサレムの近くの深い峡谷で、町のごみ捨て場でした。そこにはあらゆる汚物や犯罪者の死体が投げ捨てられ、燃やされました。その燃え続ける火のゆえに、それは永遠の刑罰の場所、火の池の象徴となりました(啓20:15)。この言葉は、第5章29節から30節、第10章28節、第18章9節、第23章15、33節、マルコ第9章43、45、47節、ルカ第12章5節、ヤコブ第3章6節でも使われています。
マタイ 5:23 注1 いけにえ(罪のためのいけにえなど)は罪を対処するためであり、供え物は神との交わりのためです。
マタイ 5:23 注2 祭壇は宮の外庭(列王上8:64)にある器具であり(出27:1―8)、その上にすべてのいけにえと供え物がささげられました(レビ1:91217)。王の地上での務めの期間、旧経綸の儀式の律法はまだ終わっていなかったので、王は王国の新しい律法を発布する時、旧経綸の供え物や祭壇のことを言われたのです。
 (四福音書の中で、死と復活の前、外側の環境に関する事柄で、主は古い律法にしたがって弟子たちをユダヤ人として取り扱われました。ところが霊と命に関する事柄では、主は新約のエコノミーにしたがって、彼らを召会を構成する信者たちと考えられました)。
マタイ 5:23 注3 ここの「何か恨みを持っている」とは、22節の怒りやののしりの結果から出た恨みのことを言っているに違いありません。
マタイ 5:24 注1 わたしたちは、自分の兄弟とまず和解しなければなりません。それは、わたしたちの違犯の記憶が取り除かれ、わたしたちの良心のとがめがなくなるためです。それから、わたしたちは純粋な良心をもって主と交わるために来て、供え物を主にささげることができます。王国の王は、互いに和解していない二人の兄弟たちが、実際における王国にあずかることも、出現において支配することも、決して許されません。
マタイ 5:24 注2 あるいは、なだめなさい。
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