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出典

フットノート

2ヨハ 1:9 注3 神を持つことは、御父と御子の両方を持つことです。神が、わたしたちの享受と実際(ヨハネ1:1,14)となるために、御父を伴う御子においてわたしたちに分与されたのは(Iヨハネ2:23)、受肉の手順を通してです。受肉された神において、わたしたちは贖いにおける御子を持ち、命における御父を持ちます。わたしたちはこうして贖われ再生されて、神と有機的に一となります。それは、わたしたちが救いにおいて、また命において彼にあずかり、彼を享受するためです。ですから受肉を否定することは、この神聖な享受を退けることです。しかし受肉の真理の中に住むことは、わたしたちの永遠の救いと神聖な命における分け前のために、神を御父と御子として持つことです。
2ヨハ 1:10 注1 それを教理として教えるだけでなく、それを実際として持って来る。
2ヨハ 1:10 注2 異端者、反キリスト(7節Iヨハネ2:22)、偽預言者(Iヨハネ4:1)であり、今日の近代主義者が行なっているように、キリストの神聖な受胎とキリストの神格を否定する者。そのような者を、退けなければなりません。彼をわたしたちの家の中に入れたり、彼にあいさつしたりしてはなりません。このようにして、わたしたちは彼と接触を持つことがなく、その異端にあずかりません。異端は神に対する冒とくであり、らい病のように伝染するものです。
2ヨハ 1:10 注3 ギリシャ語は、「幸いあれ」、「ようこそ」、「万歳」などの意味で、あいさつや別れに用いられました。
2ヨハ 1:11 注1 すばらしいキリストの神聖な真理を人にもたらすことが卓越した行為であるように(ローマ10:15)、キリストの栄光なる神格を汚すサタン的異端を広めることは、邪悪な働きです。それは神に対する冒とくであり、忌み嫌われるべきものです。それはまた人々にとって損害とのろいです。キリストにある信者、神の子供たちはだれも、この邪悪に少しもあずかるべきではありません! そのような邪悪な者には、あいさつすることさえ禁じられています! この邪悪な者から、厳格で明確な分離が維持されなければなりません!
2ヨハ 1:12 注2 文字どおりには、口と口とで。
2ヨハ 1:12 注1 使徒は、神聖な命の享受における喜びの満ちあふれのために、召会の肢体とのさらに深い、さらに豊かな交わりを求める彼の願望を言い表しています(Iヨハネ1:2―4)。
2ヨハ 1:12 注3 幾つかの写本は、あなたがたの、となっています。
2ヨハ 1:13 注2 彼女があいさつの中に加わっていないのは、彼女がすでに亡くなっていたことを示しているのでしょう。
2ヨハ 1:13 注1 これは、召会の肢体との何と親密な交わりと、彼らに対する愛情のある顧みを、老齢の長老が持っていたかを示しています。
 老齢の使徒ヨハネが、三一の神の神聖な命をもって、彼の繕う務めを遂行する上で、信者たちに対して切に関心があったのは、彼らが神の真理の中を歩くということでした。神の真理は、三一の神が受肉して神・人、キリストになることです。彼は神性と人性の両方を備え、十字架を通して永遠の贖いを達成し、復活を経てすべてを含む命を与える霊となられました。この命を与える霊は、手順を経た三一の神の究極的表現であり、悔い改めて彼を信じる者に、命またすべてとして受け入れられます。老齢の使徒の願いは、信者たちが三一の神の神聖な愛によって真理の中で互いに愛し合い、彼を表現することでした。この真理、この実際は使徒の歩みの中で真実となり、彼の贖われた人性の中で神聖な美徳が表現されました。彼は心にかけている信者たちを、神聖な美徳の純粋さの中で愛しました。信者に対する彼の愛は、彼の生活であり、この中で三一の神の実際、真理が三一の神の愛に結合されました。この愛に基づいて、彼がまた熱心に願ったのは、彼の心にかけた信者たちが、自分のようになり、また彼らが互いに愛し合うこと、三一の神に関する真理を踏み越える者である異端者と全くかかわりを持たないことでした。老齢の使徒の願いは、彼が心にかけている信者たちが絶えず神聖な真理の中にとどまり、永遠までその霊によって御父と御子を享受することでした。
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