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出典

フットノート

ユダ 1:25 注1 唯一の神はわたしたちの救い主であり、人なるイエス・キリストはわたしたちの主です。そのような救い主に、そのような主を通して、栄光、威厳、大能、権威が、すべての時代を通じてありますように。
ユダ 1:25 注2 栄光は光輝の中の表現、威厳は誉れの中の偉大さ、大能は力にある権力、権威は支配における力です。
ユダ 1:25 注3 「永遠の昔から」は永遠の過去のことを、「今」は今の時代のことを、「永遠に至るまでも」は永遠の未来のことを言っています。ですから、それは永遠の過去から、時を貫いて、永遠の未来に至るまでです。
啓示録 1:1 注1 啓示録は聖書の最後の書であり、全聖書、神聖な啓示全体の結論、完成、成就です。神聖な啓示の真理の大部分の種は、聖書の最初の書である創世記でまかれました。これらの種のすべての成長は、続く書で、特に新約の各書で次第に発展し、その収穫は、啓示録で刈り取られます。ですから、本書で取り扱われている事柄は、大部分が全く新しいものではなく、むしろ聖書の前の各書にすでにあったものであり、本書で完成されています。その中心は、キリストの唯一の究極的な啓示、イエスの特別な究極的完成の証し、神の宇宙的な永遠のエコノミーです。
 本書は予言の書ですが、単なる言葉による予言ではなく、見る者に啓示されたビジョンによる予言です。神の目に、本書で予言されたすべての事は、すでに起こったことです。こうして、すべてのことは見る者に、ビジョンに次ぐビジョンとして示されたのです。ですから、本書で使われている動詞の大部分は過去形です。
 全聖書はキリストを啓示します。特に全聖書の結論、完成、成就である啓示録は、「イエス・キリストの啓示」です。本書は、ほかにも多くの事を啓示していますが、その啓示の焦点はキリストです。キリストに関する幾つかの面、例えば、諸召会の間で愛をもって、しかも裁く態度で顧みておられる大祭司としてのキリストのビジョン(13―16節)、神の御座と四つの生き物の間で、また宇宙の二十四人の長老たちの間で、神の宇宙的行政の七つの封印を開く獅子―小羊としての彼のビジョン(5:1―6:1)、天から下って来て地を所有する「もう一人の強い御使い」としての彼のビジョン(10:1―818:1)などは、本書にあるように、決して明らかにされたことはありませんでした。
啓示録 1:1 注2 本書の啓示は、おもに「しるし」、すなわち霊的意義を持つ象徴から成っています。例えば、諸召会を象徴する七つの燭台、召会の使者たちを象徴する七つの星(20節)などです。新エルサレムでさえ、神のエコノミーの究極的完成を象徴する一つのしるしです(第21章―第22章)。ですから、本書はしるしの書であり、しるしを通して、啓示がわたしたちに知らせられます。
 ヨハネによる福音書は、どのようにキリストが来てわたしたちの命となり、彼の花嫁である召会を生み出されるかを象徴するしるしの書です。ヨハネの啓示録は、どのように今キリストが召会を顧みておられるか、またどのように彼が来て地を裁き、地を占有し、彼の花嫁である召会を、神の全きエコノミーへもたらされるかを示すしるしの書です。
啓示録 1:2 注1 一方で、本書は「キリストの啓示」をわたしたちに与え、もう一方で、「イエスの証し」、すなわち召会をわたしたちに見せています。それは啓示されたキリストと、証しをする召会を、わたしたちに提示します。第1章の燭台、第7章の贖われた者たちの大群衆、第12章の男の子を身ごもる輝く女、第14章の収穫とその初穂、第15章のガラスの海の上の勝利者たち、第19章の婚姻の備えのできた花嫁、第21章と第22章の新エルサレムは、すべて「イエスの証し」です。このイエスの証しは、予言の霊、すなわち予言の実際、性質、特徴です(19:10)。
 キリストは神の証人(1:5)、神の証しと表現です。召会はキリストの証しと表現です。そのようなものとして、召会は、キリストにある神の証しと表現の再生産です。
啓示録 1:3 注1 本書の啓示は予言の性質を含んでいます。ビジョンの大部分は、来ようとしている事柄についてです。第2章と第3章の七つの召会に対する七つの書簡でさえ、しるしの意味において、主の再来までの地上の召会に関する予言です。
啓示録 1:4 注2 アジアは古代ローマ帝国の一つの州であり、その中に、11節(11節)で述べられた七つの都市がありました。七つの召会は七つの都市に一つずつあり、一つの都市に全部あったのではありません。本書は一つの宇宙召会を取り扱うのではなく、多くの都市にある地方召会を取り扱っています。召会は、まずマタイによる福音書第16章18節(マタイ16:18)で宇宙召会が啓示され、マタイによる福音書第18章17節(マタイ18:17)で地方召会が啓示されています。使徒行伝では、召会は地方召会の方法で実行されました。例えば、エルサレムに在る召会(使徒8:1)、アンテオケに在る召会(使徒13:1)、エペソに在る召会(使徒20:17)、シリヤとキリキヤの地域の諸召会(使徒15:41)のようにです。書簡は、幾らかの個人あてに書かれたものを除いて、地方召会に書かれました。宇宙召会に書かれたものは一つもありません。地方召会がなければ、宇宙召会の実際と事実はありません。宇宙召会は、地方召会において実際化されます。召会を宇宙的に知ることは、召会を地方的に知ることによって成就されなければなりません。わたしたちが地方召会を知り、それを実行することは、大きな前進です。召会に関して、啓示録は前進した段階にあります。本書を知るには、宇宙召会の理解から地方召会の認識と実行へと、前進しなければなりません。なぜなら、本書は地方召会に書かれているからです。地方召会にいる人たちだけが、正しい位置にあって、正しい角度と正確な観点で、本書にあるビジョンを見るのです。
 三一の神は、キリストにおいて表現されます(ヨハネ1:1,14Iテモテ3:16コロサイ2:9)。キリストは、その霊として認識され、経験され(ヨハネ14:16―18Iコリント15:45IIコリント3:17ローマ8:9ピリピ1:19)、彼のからだ、宇宙召会において表現されます(エペソ1:22―23Iコリント12:12エペソ4:4)。そして宇宙召会は、地方召会において表現されます。ですから、神を知り、神を経験するためには、キリストを知り、キリストを経験する必要があります。キリストを知り、キリストを経験するためには、その霊を通して宇宙召会にあずかる必要があります。そして宇宙召会にあずかるためには、地方召会にあずかる必要があります。
啓示録 1:4 注1 「七」は、神の活動における完全な数です。例えば、神の創造のために七日(創1:312:3)、地上での神の動きのための七つの封印(5:5)、七つのラッパ(8:2)、七つの鉢(15:7)があります。ですから、七つの召会は神の完全な動きのためです。
啓示録 1:4 注3 今おられ、昔おられ、やがて来ようとしておられる方は、永遠の父なる神です。神の御座の前の七つの霊は、神の活動する霊、霊なる神です。神には忠信な証人、召会には死人の中から最初に生まれた方、この世には地上の諸王の支配者である方イエス・キリストは(5節)、子なる神です。これは三一の神です。永遠の父なる神として、彼は過去におられ、現在おられ、やがて来られる方です。霊なる神として、彼は神の活動のために七倍に強化された霊です(参照,ノート5)。子なる神として、彼は、(1) 神の証人、証し、表現、(2) 召会、新創造のために死人の中から最初に生まれた方、(3) この世に対しては地上の諸王の支配者です。そのような三一の神から、恵みと平安が、諸召会に分け与えられます。
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