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出典

フットノート

啓示録 1:12 注2 しるしでは、金は神の神聖な性質を象徴します。ここで燭台が金であるというのは、諸召会が神の神聖な性質で構成されていることを象徴します。
啓示録 1:12 注3 聖書では、燭台は常に神の建造と関係があります。最初に燭台が述べられたのは、出エジプト記第25章31節から40節(出25:31―40)で、幕屋が建てられた時です。第二の事例は、列王紀上第7章49節(列王上7:49)の宮の建造においてでした。第三の事例は、ゼカリヤ書第4章2節から10節(ゼカリヤ4:2―10)の神の宮の再建と大いに関係がありました。この啓示録では、燭台は諸召会の建造と関係があります。出エジプト記第25章での強調点は、キリストが神聖な光としての燭台であって、七つのともし火としてその霊(油)で輝いていることです。ゼカリヤ書第4章での強調点は、その霊が(ゼカリヤ4:6)、七つのともし火として輝いており、それが神の七つの目であることです(ゼカリヤ4:2,10)。神の七つの目は、神の強化された動きのための、神の七つの霊です(5:6)。これは、ゼカリヤ書の燭台が、出エジプト記の燭台の実際であり、啓示録の燭台が、ゼカリヤ書の燭台の再生産であることを示しています。キリストはその霊として実際とされ、その霊は諸召会として表現されます。輝いている霊は輝いているキリストの実際であり、輝いている諸召会は輝いている霊の再生産と表現です。それは、神の永遠の目的を達成するためであり、新エルサレムが輝く都として完成されるためです。キリスト、その霊、諸召会は、すべて同じ神聖な性質のものです。
啓示録 1:13 注1 キリストは今日、諸召会の間におられます。一方で、彼は大祭司として、諸召会のために天でとりなしておられます(ヘブル9:247:25―26ローマ8:34)。もう一方で、彼は諸召会の間を歩いて、彼らを顧みておられます。彼の動きにあずかり、彼の顧みを享受するために、わたしたちは諸召会の中にいなければなりません。
啓示録 1:13 注2 ここでキリストは、彼の衣が示しているように、大祭司として描かれているだけでなく、また人の子のような方として啓示されています。彼は神性と人性の両方です。わたしたちの大祭司として、彼は人性の中で、諸召会を顧みておられます。
 人の子としてのキリストは、贖いの達成のためだけでなく、召会生活のためでもあります。なぜなら、召会は人で構成されているからです。昇天の後も、主が人の子であるのは、彼が復活の後も人の性質を脱いでおられないことを意味します。ここで彼が諸召会を取り扱っておられるのは、彼の人性に基づいてです。彼は人性の中で神の証しとなり、完全に勝利と成功を収められました。諸召会も人性の中で神の証しとなり、必ず勝利と成功を収めることができます。
啓示録 1:13 注3 足まで垂れた衣は祭司服であり(出28:33―35)、キリストが神聖な特質と人の美徳の豊満であることを象徴します(参照,イザヤ6:1,3)。
啓示録 1:13 注4 旧約の祭司たちは、務めのために、腰に帯を締めていました(出28:4)。ダニエル書第10章5節(ダニエル10:5)で、キリストも腰に金の帯を締めておられました。しかしここで、わたしたちの大祭司であるキリストは、胸に帯を締めておられます。胸は愛を象徴します。腰に帯を締めるのは、働きのために強められることですが、胸に帯を締めるのは、愛の顧みを象徴します。諸召会を生み出すことでのキリストのみわざは達成されました。今や彼は働きのために、腰に帯を締める必要はありません。彼が今、諸召会の間で行なっておられるのは、愛の中で彼らを顧みることです。このことで、彼は金の帯を胸に締める必要があります。金の帯は神聖な力を象徴します。キリストは彼の人性の中で、また彼の神聖な力をもって、諸召会の中を動いて、彼らを顧みておられます。
啓示録 1:14 注1 白い髪は、日の老いていることを象徴します(ヨブ15:10)。ここで主は、日の老いていることを示しています。雅歌第5章11節(雅5:11)で、彼が黒い髪で描かれているのは、彼の衰えることのない永続する力を象徴しています。
啓示録 1:14 注2 白い羊毛は命の性質から来ます。白い雪は空から、天から来ます。ですから、こことダニエル書第7章9節(ダニエル7:9)の白い羊毛は、キリストの日の老いておられるのは彼の性質からのものであって、彼が老人になられたからではないことを象徴します。白い雪は、彼の日の老いておられるのが天的なものであり、地的なものではないことを象徴します。
啓示録 1:14 注2 白い羊毛は命の性質から来ます。白い雪は空から、天から来ます。ですから、こことダニエル書第7章9節(ダニエル7:9)の白い羊毛は、キリストの日の老いておられるのは彼の性質からのものであって、彼が老人になられたからではないことを象徴します。白い雪は、彼の日の老いておられるのが天的なものであり、地的なものではないことを象徴します。
啓示録 1:14 注3 雅歌第5章12節(雅5:12)で、キリストの目ははとのようです。それは、彼の愛の表現のためです。ここの彼の目は、燃える炎のようです。これは、彼が観察し、探り、照らすことによって裁くためです。本書で彼の目は二つではなく、七つです(5:6)。七は神の動きにおける完全な数です。ですから、本書での彼の目は、神の活動のためです。彼のこれら七つの目は、御座の前で燃えている七つの火のともし火(参照,ダニエル10:6)、すなわち神の七つの霊です(4:5)。「燃えている火」は「火の炎」と等しく、観察し探るためです。全地に遣わされた神の七つの霊(5:6)は、また地上での神の動きのためです。こうして、本書におけるキリストの目は、神の七つの霊であり、今日の地上での神の動きと活動のためです。
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